空色のパノラマ

空色のパノラマ

諏訪湖の畔のなにげない毎日の中にひっそり佇む、ささやかで見落とされがちな奇跡をX100Fとクラシッククロームで綴る日記。

「写真、それは「意識以前のもの」を捉えることができる魔法です。」

※撮影2024年3月。諏訪湖、近所、職場、自宅。
  カメラ:X100F。フィルムシミュレーション:クラシッククローム。
  絞り優先モード、WB:晴天/R:-3/B:-2、ハイライト0、シャドウ:-1、カラー:-1、
  DR:100、NR:-4、シャープネス:0、グレインエフェクト:弱。

タイトルのすごく素敵な言葉。
これは僕が思いついた言葉ではなく、僕が愛読しているこちらのnoteの記事に書かれて
いた言葉です。

note.com


ブログの言葉をいくつか引用します。

『川の大きな流れの中にも源流からの一滴があるように、「はじまりの記憶」はわたし
 たちのそばにも隠れています。でも、それを取り出すのは容易ではありません。』

『おそらくそれは、しっかり見ようとすると見えなくなってしまう、そんな類のもの
 です。』

『写真には特別な力があります。「意志とは違うものを写しとってしまう力」です。
 そのおかげで写真は「見ようとすると見えなくなるもの」を捉えるのが得意です。』

『「はじまり」の気配を感じたら、さっとカメラを向ける。思い通りに撮ろうとする
 必要はありません。ただ、その気配が消え去る前にシャッターを切るのです。』

とてもいいなぁ、いい言葉だなぁと思いました。

人がシャッターを切るときはいろいろなきっかけ、動機があって、それは千差万別だと
思いますが、自分の場合は、日常の中でいいなと感じたときにシャッターを切って
います。
じっくりとファインダーを覗いて構図を整えて撮るときもあるし、何枚も微妙に
変えながら撮るときもあるし、衝動のままさっと構えて撮るときもあるし。

でもどう撮るにしても、そこに何かを感じて、何かに感動して、その何かを捉えたくて
撮っている気がします。
自分の場合はそこまで撮り方のスタイルが確立していないので、その時々で撮り方は
千差万別。そして大概の場合はその何かを捉えきれないケースがほとんどなのですが
(涙)
いつも追いかけているのは「はじまり」の気配だな、と腑に落ちました。

感動したら撮ってます、日常のいいと感じた物を撮ってます。
語彙力に乏しい自分はこのくらいしか、ありきたいな言葉でしか文章に表せません。
もっと微妙で、もっと細やかで、もっと繊細で、もっとさりげないものなんだよな、
と感じていました。
引用させていただいた文章を読んですごく胸に落ちて、これは自分のことだ!
自分の言葉よりよほど自分の気持ちが表れてい!!と感動しました。
(↑こういうところの語彙力(汗))

写真ももっともっとそういったものを捉えたいと思いますし、それ以上に、言葉も、
もっともっと気配や、自分の気持ちの周りに漂う儚いものを捉えたいな、と
思いました。
簡単に言葉にできないからこそ言葉を追い求める、簡単に写真に捉えらえれないから
こそ写真を撮り続ける。だからいつまでも新鮮で面白いと思えるのだなぁと一方では
思えます。
(これが難しすぎて手も足も出ないのならとっくに辞めていると思いますが、
 これがまた絶妙に、時々、本当にときどきですが、自分でもその気配を捉えられた!
 と思う瞬間があるから続けられるんですよね)