空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

スランプと運。

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 ここのところカメラがスランプでした。
・・・スランプって、もともとそんなすごい写真を撮っていたわけでもないので、
一体何をもってスランプって言ってんの?って話しなんですが、まぁそれでも、
自分なりにいいね!って写真がたくさん撮った中にときどきあって、それらを
ブログにUPしている訳ですが、それがここんとこ、全然自分で見返して、いいね!
って写真が出現しなくなったわけです。

そもそも、カメラを持ち歩いて写真を撮ってる理由は、写真を撮ることが楽しいから、です。
この楽しいをもう少しかみ砕けば、歩いていてお!って思う光景に出会ったときに
それをファインダー覗いてシャッターを押す、っていう行為が楽しい、ってことなんですが、
そのときに、無意識では、いい光景を記録できた!っていう気持ちがやっぱりあって、
それもまた楽しいに大きくつながっています。

なので、いい写真を撮ることが行為としては目的じゃないですが、でもやっぱり
深層心理ではそれが楽しさを支えているわけで、つまり、あとから見返して
ほんの少しでもいい写真がある、ってとの、まったくのゼロ、では全然気持ちが
変わってきます。
ということで、楽しくないな~と(無意識に)感じていて、で、意識としては
いい写真が現れない、ということで、あースランプだ~!!と感じていました。
そうやっていい写真が撮れないことに落ち込んでいたわけですが、
そうするとなんでかなー考えてみるわけです。

(もともと撮り方は雑だったけど)前よりも撮り方が雑になりすぎている?
感性がにぶった?
他の人の(素晴らしい)写真を見すぎて自分のがしょぼく感じるようになってきた?

まぁ、そんなことを考えながら、それでもカメラは手放さず、前よりも苦しい気持ちも
伴いながら(ああ、きっとまたがっかりの写真になる予感・・・)
撮り続けていました。
ああ、やっぱり限界なのか。自分が限界ならカメラをいいものに変えるか、なんて
いつもの逃げ思考もにじみだしりしながら。
(ああ定額給付金!!(笑))

で、最近また、いいね!!って写真が(ほんの少しですが)出現して、それがうれしかったのと、
なんでスランプになったのか、その真相がびきーん!!と閃いたのです。
それは運が悪かったから(笑)
要するに、そもそもがいいね!って写真が撮れた時は
「運よく」いい光景に出会い、「運よく」露出補正やカメラの設定がはまり、
「運よく」構図とが画角がはまったから、だったのです。

・・・それさぁ、運じゃなくない?あるいはさ、こういうことじゃない?
技術的にきちっと撮るタイプじゃないっていうけど、それなら、前はもっと素直に
被写体に向き合ったり、感謝の気持ちがあったり、そういうのが「運よく」に
導いてくれてたんじゃない?
今は色気出して、いい写真撮ろう、とか、自分らしく、とか、そういう下心が
邪魔して運にたどりつけないんじゃないの?

はい、セルフ突っ込みしてました。
実に全くその通り。人の写真を見ているうちに・・・っていう冒頭に書いたことは、
結論は少し違ったけど、影響していました。
で、素直さから自分を遠ざけて縛っていました。
そこにも気づいたんですが、ただ、そういうのもひっくるめて、
もっと素直になろう、とか、感謝して、とか自分にいい聞かせ続けているのも
なかなか大変なんですよね。いつでもそういう気持ちで写真を撮るっていうの
難しいし。

だったら。
素直にいられるときは素直に委ねて。下心あるときは下心にゆだねて。
試行錯誤もいっぱいすればいいし、ノーライブビューで満足したっていいし。
で、結果いい写真が撮れたらたまたま運がよかった!
全然日照りが続いたら運が悪かった!でもへーきへーき。また運がいいときが
くるよ。

そう考えたとき、すごく心が軽くなって、また楽しくなってきたことを感じたのです。
ということで、没写真、がっかり写真ばかり続いても、あー運が悪いね~って
流せるようになった今日この頃です。
(ま、精進とか、悔しさをばねに、とかね、そういうのはね、ま、いいかな(笑))