空色のパノラマ

空色のパノラマ

日々感じたことを写真(x20)と言葉で。https://www.facebook.com/profile.php?id=100002288124859

サンタさんが新しいカメラをプレゼントしてくれました。

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 息子(小学校2年生)の話です。

 

sorairopanorama.hatenablog.com

 

以前にこんな文章を書きました。

妻がミラーレスを買ったときに、それまで使っていた古いコンデジを息子に
あげたんですが、息子はこれをとても気に入って、すごく楽しそうにたくさん
写真を撮っていました。
性能云々、なんてことは全く気にせず、写真を撮る喜びにあふれるその様子を
見ていると、なんだかすごくあったかい気持ちになりました。
そんなデジカメもさすがに動作が怪しくなってきたため、息子から去年の
クリスマスにサンタさんにデジカメをお願いしたい、という申し出がありました。
古いとか性能とか関係なしに、ただただ楽しく喜びの中で写真を撮っている中で、
部屋の中が撮れたらいいなぁ、夕日が撮れたらいいなぁ、と(文句じゃなく)
新幹線が撮れたらいいなぁ、とつぶやいていたこともあったのを思い出して、
まぁ今どきのコンデジなら大概どれでも大丈夫だろう、とカメラの選定を行いました。

・・・なんか選んでいたら、ここまで大切に使ってくれる人にはきちんとした
道具を使ってもらいたいな、という気持ちが沸き上がってきて、
いつでも持ち歩ける大きさでいろんなシチュエーションで撮影できる、そしてきれい。
ていう観点で、癖のないものを選んだ結果、ソニーのRX100(初代)となりました。
小学生が使うには贅沢なカメラだと思うけど、でも、贅沢させたい、とか、
高いものを選んだわけではなく、彼なら本質的に大切に、楽しく、今後も長く使って
くれそうだから、それならいいカメラがいいな、と思って決めました。

ということで、値段は見せずに息子に提案し、息子からサンタさんにお願いし、
そして(多分サンタさんも高いなーと思いながら)プレゼントしてくれました。

自分でカメラポーチを買って、父と同じくどこへ行くにもカメラを提げて、
自分が好きなものをたくさん撮って、いいものが撮れたらうれしそうに
見せてくる。その様子だけで、きっとサンタさんも、高かったけどそれだけの
価値があったな、と喜んでいると思います(^^)

親としては、どんなことでもなんでもいい。自分でやりたいことを見つけて
それを楽しく続けてくれたらいい。そんな気持ちです。
今のところは父と同じ趣味を楽しんでくれて、お互いに写真を見せ合いっこ
したりするのがすごくうれしかったりします。
(妻がキャノンのEOS M6、息子がソニーのRX100、僕がFUJIのX20・・・
 なんかバイクレースに一人自転車で参加している気分だけど頑張るぞ!!(笑))


今回の写真は、そんな息子の写真の中から。
技術的なこととか構図やらなんやらは全く教えてなくて。
ただ、好きなものを大切に撮ろう。
撮ったら後でかなず見返していい写真を選ぼう。
それだけを伝えました。

・・・普通に僕よりいい写真なんだよなぁ(笑)

私が写真を撮る理由(あるいは心の速度を落とすことについて)

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私が写真を撮る理由、それは楽しいから。以上。なんですが・・・

年の暮れから年明けにかけて、自分の写真やカメラという趣味についてとても明快に、
さわやかな気持ちで向き合えていて、撮るのもすごく楽しいし、
いい写真も撮れてるなぁと感じています。
(ちなみに僕がブログにUPしている写真は半年くらい前の写真を上げているので
 ↑こんな風に感じている、今撮っている写真も半年ほど寝かされてから
  世に出てくるわけで、このブログの写真も夏の写真ですが(笑))
しかし、その少し前の時期に、自分の写真について考えていた時期がありましたので、
時系列が前後しますが今回はその話を。

きっかけは、センサーにゴミがついてしまったことから始まります。

僕の使っているカメラはFUJIFILMのX20という古いコンデジで、
もちろんレンズ交換式のようなセンサーの自動清掃機能はありません。
わざわざ高いお金を出して掃除をしてもらう、というのもためらっていました
(もともとが中古で2万円ほどで手に入れたものなので・・・)

かといってそのためにじゃあ別の(あるいは同じ種類の)コンデジを買いなおすか、
というのも、今使っているこの機種じゃなく、この個体に対して並々ならぬ
愛情を感じているので、それもできないなぁと感じていました。
撮影してはプレビューで見るたびにセンサーゴミが気になり、はぁ〜とため息。
ならばいっそ上位機種(X100シリーズ)でも買うか!!
そしたらもっといい写真撮れるかもなぁ〜いい写真撮りたいなぁ〜という日々。

でも、そんなときにふと思いました。
あれ?そもそも自分はいい写真が撮りたくてカメラを始めたんだっけ?
カメラを始めたのはもともとLOMOのLC-Aを使いだしたとき。
LOMOのの見た目の可愛さに惹かれ、ただただそれを持ち歩きたいという至極
ミーハーな理由で入手して写真を撮り始め、フィルム現像が上がってきたときに
自分の見た映像が写真になっていることに感動し、そしてさらに続けていたら、
いつもの景色をファインダーを通して見ること、写真を撮ること、それ自体が
楽しくて楽しくて、それで続けてたんだな、ということを思い出しました。

その後、なんやかんやあって、一度カメラを離れたあと、デジカメに復帰しましたが、
僕にとって一番はファインダーを通して、そして撮れてるか撮れてないかわからない
ドキドキ感を経た上での写真。
だから基本的には背面液晶を使わない、プレビュー画像も見ない。
何日か経って家のMACにつないだ時に初めて画像を見る。
そんなフィルムライクな楽しみを続けていたはずなのに・・・・

ふと気づけば、毎回プレビュー画像を気にして、その場でなんとしても
いい写真を撮ろうとして、何度も撮りなおしていました。
この写真だったらブログに上げたときに見てもらえるかな、ということを考えて
いました。

でも、もともとはそうじゃなかったんです。
楽しく写真を撮っていたら、たまに自分で気に入るような写真が出てきて、
よし、せっかくだから人にてもらおう、そんな流れでブログも始まったんです。

それなのに。いつの間にか結果が目的になっているというか・・・

センサーゴミもさ、撮る楽しさに影響ある?それを気にするような繊細な写真を
撮ってる?いや全然影響ないな、ゴミがあってもなくても変わらないような
写真だな(笑)

そう気づいた時、なんかいつの間にかいい写真を撮ろうとして眉間にしわが
よっていたようなそんな息苦しさ、呪縛から解放されました。
(あ、あくまでこれは僕にとっての写真という趣味の在り方の話しで、
 他の方、いい写真を撮ろうとして撮られている方について思うものでは
 ありません。いい写真を撮ろうとして実際に撮るということ自体は素晴らしい
 ことだと思っています)

で、そこからまたプレビューを見ない、撮ること自体を楽しむスタイルに
回帰したのであります。
もっともっと撮影を楽しもう。そのためにはどうしたもっと楽しめる?
いい写真を撮るっていう焦り、心の速度を落として、写真を撮る・撮らないに
関係なく周りの世界を楽しもう、慈しもう。
そして、写真を撮りたいという景色に出会ったら、その景色に敬意をもって
ファインダーの中に没頭し、今、この気持ちを生み出してくれているこの瞬間が
写っていたらいいな、という祈りを込めてシャッターを切ろう。
で、結果失敗写真になってもご愛嬌。
そんな風に心の余裕を持つように努めました。
一期を大切に、でも一期の結果にこだわらない。いつかそのうちいい写真が
写ってたらいいなあ、と心の速度をゆっくりにする。

よくしたもので、そんな風に撮りだしてからの方が結果としていい写真が
撮れたりします。
僕にとっての写真というのは撮るのが楽しい、が一番大切なんだと改めて
気づかされました。

追伸。後日談がありまして、年明け公園で犬の散歩をしながら写真を撮っていたら
   犬がぐっとリードを引っ張ってその拍子にカメラが芝生に落ちてしまいました。
   真っ青になりながらカメラを確かめたら無事に動いてほっとし、そして
   驚くことにその衝撃でセンサーゴミが取れていました!!!
   なんというか、実に、なんて運がいいんだろう、なんてこの世は
   ありがたいんだろう(^_^)

写真は、その人らしさそのものだと思う。もちろん自分自身の写真も。

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いや、当たり前だろって話しではあるんですが・・・

色々な方の写真を見ていると、だんだんとその写真がその人そのものに見えてきます。

 

写真に現れる要素を考えると、どんなカメラか、どんなレンズか、どんな技術なのか、

という部分があるかと思いますが、それ以外にも、その人の興味・・・どんな被写体が

好みか、どんな色合いが好きか、明るさ暗さ、はっきりそれとも柔らかい。

そしていつ撮るのか・・・生活の中で、休みの日に遠出して、身近なものか、遠くの景色か。

そういった趣味、趣向、暮らし向きなどが現れる部分も大きいと思います。

 

そういったもろもろをひっくるめて、なんだかすごく、その人の人となり・・・

人間性、性格、そういったものが現れている気がするんです。

カメラ始めたばっかりとか、設定は全部カメラ任せのオート、とか、

何撮っていいかわかんないから手近なものを、とか、そういった

段階であっても、やっぱりそこにはその人らしさが表れていると思うんです。

 

ある人の写真には、冬の寒さがつきもののはずの雪景色の写真で感じられるのが

温かさであったり、ふんわりしたかわいらしい被写体の中に凛とした美しさや

秘めた憂いが感じられて、それはそのまま、その方の、やさしさの中に

それだけではない奥行きがあるお人柄が感じられます。

 

ある人の写真には、写っているのは暮らしやお子さん達のある瞬間ですが、

その写真からはその前後の時間、周りに広がる気配、そこにいる人たちの

気持ちが生き生きと、そして軽やかに感じられます。

それはそのまま、その写真を撮っているそのときのまなざしや気持ち、

やさしさがひしひしと伝わってきます。

 

ある人の写真には、山や森の美しさ、そして雄大な広がりを感じます。

それは撮り方とか見えている景色がそうだから、というだけでなく、

そのように雄大に世界をとらえている視点が感じられ、それはそのまま

その方の心の大きさ、広さ、というものとして伝わってきます。

 

いろんな方の写真を見ていて感じることですが、多分その比較対象というか

無意識に基準にしているのが自分自身の写真であるため、単純に自分の

持っている技術が稚拙である、という事かもしれないし、

またそれぞれの人とは実際にはお会いしたことがないので、

どちらかといえば写真を通してその人、というものを想像している訳で、

むしろ真逆というか、僕の勝手な想像上の人物像でしかないんですが・・・

それでも、僕には生き生きと「その人」の人物像が感じられます。

 

写真を通していろんな方と知り合い、そして語り合っている、

その人についてすごく知っているような気がします。

錯覚といったらそれまでだけど。

ご本人からしたらいやいやそんな人間じゃないよ、って言われるかもしれないけど。

(なので、例に挙げた方たちも具体名やリンクを上げることは

 していません)

 

それでも。

 

そんな出会いが、自分の中に、さわやかで、うれしくて、

温かい気持ちをたくさん運んできてくれます。

自分の心がその分豊かになっていくのを感じます。

 

そしてそれは、僕自身を知る手掛かりになります。

他の方の写真から他の方を感じる、その後で僕の写真を見ると、

自分で言うのもなんですが、実にまっすぐで、素直で、さわやかで。

深みや奥行き、秘めたものは何も感じられないんだけど(笑)

素直で見た目そのまんま、というのが自分の写真であり、また、

自分自身なんだろうな、と。

そして、そういう自分も自分の写真もまぁ悪くないな、と思うわけです。