空色のパノラマ

空色のパノラマ

諏訪湖の畔のなにげない毎日の中にひっそり佇む、ささやかで見落とされがちな奇跡をX100Fとクラシッククロームで綴る日記。

僕はカメラを持つことで身近な世界とつながっていた。

※撮影:2024年4月。諏訪湖、近所。
  カメラ:X100F。フィルムシミュレーション:クラシッククローム。
  絞り優先モード、WB:晴天/R:-3/B:-2、ハイライト0、シャドウ:-1、カラー:-1、
  DR:100、NR:-4、シャープネス:0、グレインエフェクト:弱。

4月、引き続き桜の季節。朝の光も美しい季節で朝の散歩がより一層清々しく感じて
いました。

さて。
最近2週間ほど諸事情でカメラを持ち歩いていませんでした。
(大した事情でもないですし、カメラが故障したとかでもなく、今はまた持ち歩いて
 おります)
その間で分かったのですが、僕はカメラを持つことで、カメラを使うことで、写真を
撮ることで自分の周りの世界とつながっていたんだな、と。
世界、というと大げさかもしれませんが、身の回りに見えるものがカメラを持たないときは
どこかよそよそしく感じられていました。
何かすぐそばであっても遠くにあるような。
でもよく考えるとよそよそしいのは自分で、身の回りの景色に対してふと立ち止まって
眺めたり佇んだりすることがなかったなぁ、と。

ファインダーを覗くとき、シャッターを切るとき、目は、呼吸は、そして五感は
その対象物に引き込まれ、自分との間に線のつながりが生まれて、一体化する。
カメラを持つことで、今まで意識することなくそんなつながりが生まれていたんだな、と
いうことを改めて知ることができました。

もちろん、カメラを持たなくても普段からこんな風に身の回りに対して接している人も
いると思いますし、自分はたまたまカメラだった、ということです。
カメラを持つと、普段の何気ないとき・・・散歩はもちろん、それ以外の通勤や移動、
特にそのこと自体を楽しむためにしているわけではない、というようなことが楽しめる
ようになりました。興味を持てるようになりました。
カメラという趣味に出会えてよかったなぁと改めて思います。