空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

それは魔法じゃなくて、でも人の生み出す奇跡だった。

※撮影2023年12月。会社、近所、諏訪湖、隣町
  カメラ:X100F。フィルムシミュレーション:クラシッククローム。
  絞り優先モード、WB:晴天/R:-3/B:-2、ハイライト0、シャドウ:-1、カラー:-1、
  DR:100、NR:-4、シャープネス:0、グレインエフェクト:弱。

世間が桜で盛り上がっているときに12月の写真を淡々と上げる、というある意味修業の
ような、メンタルが強くないとできない所業。
「空色の思い出」に改名しようかと一瞬だけ考えた我がブログです。

ここ最近ちょっとブログが滞っておりました。
やっぱり年度終わりと年度始まりは忙しく、そして例年通り重度の花粉症にダメージを
受け、加えて先日久しぶりにぎっくり腰をやってしまいました。
今は、忙しさはいったん落ち着いて、ぎっくり腰も無理やり痛みに耐えながら動いて
回復、花粉症はまさに今がピークですがこれは仕方なし。
花粉症があるからこそ、梅雨を心待ちできるということを利点と捉えましょう。

さて。

ブログや写真集などで他の人が撮った写真を見たとき、すごく素敵で、とても美しく
て、そしてそれがどうやったらそんな風に撮れるのかさっぱり分からない、と感じる
ことがあります。未知のものに触れた感動。まるで無から生み出されたような、それは
もう魔法なんじゃないかと。
写真を始めたころは特に、そんな風に感じることがたくさんありました。

それから幾星霜を経てずっと写真を撮り続けていると、技術は基本的、センスは進化
せず、な自分でもまぁ知識はそれなりに増えてきます。
最初の頃はまったくの未知の存在に感じた写真も、自分で同じように撮れるわけでは
ないけど、あ、こうやって撮ったんだな、ということは分かるようになってきます。

その写真を撮ったとき、どういう準備をして、どこに着目して、どういう点に注意を
払ったのか。どんな道具でどんな時間にどんな風に撮影したのか。
撮影した人がどういう気持ちでどこに向けて撮ったのか。
その写真にかけた労力や思いというものが分かるようになってきます。

そうすると、まさにベールをはぎ取るように、魔法につつまれていた写真を理解し、
この世のものとして認識できるようになります。
その代償として、そこから魔法が失われ、神秘性がなくなり、かつては自分のいる世界
とは別次元に存在していると感じた写真が、自分と同じ地続きの先に存在している事を
理解します。

それがなんだか寂しいと感じるのも正直なところなのですが、その代わり、かえって
地続きに捉えられるようになって、今の自分からは何千キロも彼方に存在している、
到底簡単にたどり着けるものではないということも分かるし、その一枚を生み出す
ために積み重ねた技術、センス、忍耐、目配り、気配り、あるいは直観、そこに繋がる
生き方、みたいなものも感じられるようになり、かつては神の御業のように感じた
ものは人の生み出したものであった、でもそれは人の生み出した奇跡だった、と
感じられるようになったことは悪いことじゃないな、と思っています。

追伸。

ちなみに、未だにそういう未知の衝撃という意味では、お菓子作りがそれで、
自分にとっては錬金術に等しい行為。


自分は料理はそれなりに一通りできますがお菓子になるとからっきし。
なぜ、粉を混ぜて、卵白他をいい感じに混ぜるとスポンジになるのか(笑)
以前に一度だけ子供たちとクリスマスケーキを作ったことがありますが、スポンジが
全くスポンジ(ふわふわ)にならずに巨大な味噌パンになってしまって以来、我が家で
頻繁に行われているお菓子作りに僕が家族から誘われることはありません(笑)