空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、手紙のように綴った写真の記録。

写真が下手⇒日々上達を実感。同じものを何回も撮らないとうまく撮れない⇒何回も撮るのが楽しい。何も問題ありませんでした(^^)

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撮影:2021年11月~12月。近所、自宅、会社の窓から。

 

タイトル長いですね~これどう表示されるんだろう(汗)
いいタイトルが思い浮かばなかったっていうか、タイトルが今回の全て、以上です。
って感じなんですが。

例えば諏訪湖の写真。
何回も通って、同じ場所から何回も撮って、ようやく自分でもいいな、って思える
写真が撮れるようになります。そうなるまでにほんと時間がかかります。
しかも、じゃあって行って、少し別の場所から諏訪湖を撮るとこれまた全然だめで、
時間帯が違うとダメで、天候でも季節でも、条件変わればとたんにダメで、
これまた何回も何回も繰り返し撮って、そしてそれぞれの条件で撮れるように
なります。

他の被写体も同じで、花や木も、ここに咲いてるこの花、とか、この木、とか、
そして同じような明るさ同じような季節だと撮影を重ねることで撮れるようになって、
条件違えばまた一からってことで撮り続けてようやく、です。

以前はそれがもうちょっとどうにかならないかな~と。
せめて同じ被写体ならシチュエーション変わっても応用効くようにならないかなぁ、
とか思ってました。
自分が遠くの観光地とか出かけて撮らないのは結局これが理由かもしれないです。
足しげく通える範囲で何度も撮るから。
結局生活の中のものしか撮らない。

でも最近になってふと、それならそれでいいんじゃない?と。
プロだったり、人から依頼された写真なら、そのチャンスをものにして、その機会で
最大限結果を出さないといけないですが、よく考えたら自分はプロじゃないし(笑)、
依頼されることもないので(笑)、全然そんなシビアじゃない。
そもそもこんだけ写真を上げるのが時期も後れまくってるし、何度も撮って、時間も
かかって、膨大な石の中からごくわずかな玉を探して、それをこうしてUPしている。
片時もカメラを離さないから撮る機会も時間も山ほどあるし、何にも問題なかった!!
ってことにようやく気付きました(^^)/

いやほんと、これ結構清々しい気づきで、全然そんな土俵に上がっていないし
上がる気すらないのに、それなのに無意識に、一般的な写真のうまい人のイメージ、
みたいな型で自分を評価してたんだな、と。
結局、無意識に、架空の、理想の誰々さんになりたかったんだろうなぁ。

ネット見ればいろいろ書いてあります。数が大事。いやいや数じゃない。こだわりが
大事。いやいや素直が一番。撮って出しこそ写真。いやいやレタッチや現像こそが
作品への誠実な取り組み。じっくり現場で設定して撮る。設定はなるべくいじらず
瞬発力と反応で撮る。
そういうの別にどうでもいいんだわ自分にとっては、って気づきました。

自分が自分なりのやり方でやって、自分で上達を実感できてる限りは、
何を参考にしてもいいし、何を無視してもいいし、いいもわるいもそもそもないし。
不器用で、我流で、そこに上達が見込めて、そして何より楽しい。
それこそが自分が自由に写真を撮っている証だな、と思いました。