空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇む、ささやかで見落とされがちな奇跡をX100Fとクラシッククロームで綴る日記。

人に甘えられる力。

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前回のブログ、「ブログを書いてくれてありがとう!!」を書くまでは自分の中で

結構な葛藤がありました。

sorairopanorama.hatenablog.com

と、今なら思えるんですが、その当時、渦中にあったときはなにかこう、

そこはかとなくイライラしていて、気が張っていたように感じます。

今現在の分かった視点から見ればそれは、コロナの覆うこの状況に対して

いろんな方がブログやネットを通じて人を励まし、前向きな発言をしている。

実生活ではなかなか何か人助けをすることが難しいこの状況でも、ネット上では

自分にも何かできることがあるのではないか?何かすべきではないか?

と焦り、何かを発信しようとしてうまくそれが書けない、そんな自分に憤りを

感じていて、それが自覚できないまま、しかし自分の書くものや言動に現れて

いたんじゃないかと思います。

 

そんなときに、とある方のブログを読み、その記事を読んでいるときに涙が出ている

自分に気づきました。

ああ、これは相当に自分は追い詰められているなぁと。

そこで、追い込んでいたのが自分だったこと、何かをしようとあがいていること、

そして結局、自分は何もできていないということをはっきりと自覚しました。

そしてさらに、今この状況で人を励ましたり、みんなの力になれるようなものを

書くことは自分にはできない、ということも悟りました。

(さらにいえば、そもそも自分にはそういったものは書けない、ということです)

 

かなり恥ずかしいのですが、そのときの自分は、自分のブログを通じて誰かを

救いたかったわけです。

しかし、自分では誰かを救おうと思っても救えない、とはっきりと自覚しました。

あきらめました。

 

不思議なもので、そうやってあきらめたときから心が軽やかになりました。

それまでは、ブログに何を書けばいいんだろうと下書きをしては消し、ということを

繰り返し、なかなか筆も進まなかったのが、次々と書きたいことが溢れてきました。

現れてきたのは周りの人への感謝であり、ブログを書いている人への感謝であり、

そうか、自分はこれだけいろんな方に助けられていたんだな、じゃあせっかく

感謝が浮かんできているのだからまずは素直な気持ちとお礼を書こう、と思い立った

のが前回のブログです。

 

ああ、そうだったんだ。

自分ができることがあった。

それは人に助けてもらうこと。

人に甘えること。

人を頼ること。

そしてそのことに感謝を感じお礼を伝えること。

 

思えば、以前に仕事で群馬で一人っきりで会社の営業所を立ち上げた時もそうでした。

虚勢をはることをやめ、できない自分を自覚して、人に頼りまくろうって決めたときに

全てが始まりました。

 

いい写真じゃなくてもいい。いい文章じゃなくてもいい。

自分の素直な気持ちが入っている写真で、自分の素直な気持ちが入っている

文章ならそれでいいじゃないか。

そう思ったら気持ちがどんどん軽くなって、ああ、ここからまた始まるな、という

自分の中に力がわいてくるのを感じました。

そして、これこそ自分の持っている力なんだな、と改めて思います。

人に甘えられること。

人を頼れること。

人にありがとうを伝えられること。

なるほど、これこそが自分でした。