空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

きっと、写真に意味やストーリーを持たせるのは撮った人じゃなくて見た人なんだ。

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撮影:2022年1月。諏訪湖。

自分は、ネットにUPした写真の中からいくつか選んで、仕事のPCの壁紙に
ランダムで表示されるようにしています。
あるとき、ランダムで表示された一枚に目が留まりました。
ガードレール越しの日の出と、そこに横から向かってくる車のシルエット。
その写真を見たときに、なんだかとてもドラマチックに感じました。

sorairopanorama.hatenablog.com
先日にUPした記事の最後の写真なんですが、撮影したときも、その後選んだ時も、
ブログを書いたときも、全然そんな風には感じていませんでした。
でも今回見たときに、ストーリー性やいろんなものが感じられて、いい写真だなぁ、
と。(自画自賛です、ご注意ください(笑))

この写真を見る直前、友人がいろんな方向で活躍したり、これから一歩踏み出そうと
する友人の話しを知ったりして、みんなすごい!!自分も今いろいろな人の関わりが
増えてきてるから、面倒くさがらずにいっこいっこ大事にしていこう!なんか
ワクワクするな~
というような前向きな気持ちになっていて、そのあとに写真を見たので、なんだか
写真の情景が自分の気持ちにリンクして、勝手にそこにストーリーやドラマを
見出したんじゃないかな、と思います。

考えてみると、ある写真を見てそこにストーリーを感じたり、ドラマを感じたり、
写真に現れている見た目にはっきりしている物以外の情緒や気持ちを感じるのって、
写真自体にそういったものが含まれているというよりは、見る人の経験や心、
感受性や気持ちがそういうものを連想して、結果写真に意味やストーリーを
見出してるじゃないかな、と思いました。

じゃあ写真なんてなんでもいいじゃん、っていう極端な話しでは全然なくて、
そういうものを感じられる写真って、行間や、空想の余地や、ある意味余白や、
説明しすぎない、あるいは説明だけじゃないものが写っているからこそ、
見る側の持っているものがそこに投影したり感じやすくなっている写真じゃ
ないかな、なんてとりとめもなく思ったりしました。
(実はこうなんだ!!っていう強い意見じゃなく、なんとなくそんな気がする、
 って程度のほんととりとめのない思い付きです)

自分が好きな写真、自分が撮りたくて、日々撮ろうとしてる写真はこういう
写真なんだな、ということに気付いた次第です。