基本的に、ブログって書き手の人が書きたいことを書いているのだと思います。
特定の誰かのために書くってことはあまりないように思います。
なので、お礼を言われても、え?あー、はい。みたいな感じだと思いますが・・・
ずっと前から、他の方のブログを見て、読んで、楽しんできました。
楽しいな、と感じたり、勉強になったり、ためになったり、知見を広げたり、
感動したり、共感したり・・・
その都度、感謝を感じてきましたが、それは個別のブログのそのときの記事に対して、
というニュアンスが大きかったように思います。
そして今。
僕の環境ですと、行動の自粛や3密を避けるということもそこまで負担にならずに
実現できますし、仕事では思いっきり影響ありますが、それはまた少し違った
影響で、直接コロナの危険にさらされる、というものではないため、実生活の
負担というのはあまりありません。
しかし、知らず知らずのうちに心には負担がかかっていて、気持ちが疲れやすく
なっていたり、心が狭くなっていたり、気持ちが張り詰めていたり、先の見えない
不安がそこはかとなく無意識に感じていると思います。
次々と現れる情報や報道はすぐに見るということはせず、ワンクッション置いたり、
距離をとりながら必要な情報だけ選別するようにしていますが、
それでもやっぱり目に入ってくるのは感染者数、死者数・・・厳然とした数字の情報。
なにか世の中がまっくらになって、すっぽりといつ明けるか分からない夜に覆われて、
周りがすべて暗闇に飲まれてしまった、というような錯覚に陥ることもあります。
そんなときに、他の方のブログを見ていて思ったんです。
日常のこと、楽しいこと、趣味のこと、家族のこと。
あるいは、現状を憂う内容、率直に不安な気持ちを語っていること、この状況に
前向きに立ち向かおうとしている決意。
それらが、文章であったり、写真であったり、書かれている内容も様々。
でもそこに共通しているなと思ったのが、いずれも書き手がいて、そこには書いている
人の気持ちがあること。
だから、数々のブログを見たり読んだりするのは、その気持ちに触れること、
その人に触れること、そして、そこに人がいるということを再認識することだと
気がつきました。
それは、暗闇で誰もいなくなってしまったように感じていた場所で、そこここに
明かりが灯っていることに気づくような、暗闇と思っていたのが勘違いで、以前より
薄暗くなっているけれど、変わらない人の営みがそこにあることを知ったような。
とても温かくてそして力強いものを感じます。
(たとえそれが悲鳴であったとしても。必死で助けを求めている人に自分は何も
できないくせにそのことが温かいです、なんてふざけた言い草かもしれません。
それでも、そこにその方の生を、命を感じるのです)
だから、人によってはいえいえどういたしまして、かもしれないし、
それどころじゃないんだよ!かもしれないんですが、それでも。
大変に一方的な感謝ではありますが、ブログを書いてくれてありがとう!!
と大きな声で強く強くお伝え申し上げます。