僕という人間を一言で言うならば、まっすぐな人間、ということになると思います。
物事に向かうとき、人と向き合うとき、仕事に向かうとき、くらしと向き合うとき、
音楽と向き合うとき、体を鍛えることに、など。
ストイックと言ってもいいくらいまっすぐ真面目に向き合います。
そこには表裏もなく、ごまかしもなく。
自分で言っちゃえば、このこと自体はいいことだと思っています。
ただ。
このまっすぐさというのは、一つ間違えるとまっすぐさに勢いがつきすぎて、
その向かっている先のもの、こと、人、を傷つけてしまうこともあります。
攻撃のようになってしまったり、知らず知らずのうちに追い詰めてしまったり。
自分の性格を考えると、まっすぐさを曲げたり、迂回したり、見て見ぬ振りしたり、
自分の気持ちをごまかしたり心に嘘をついたり、というようなことはできないん
ですが、
だからといって、これが自分なんだ、何も変えなくていいんだ、という話しでは
ないなぁ、と。
自分の芯は変えずとも、そのまっすぐさに柔軟さを加えたり、勢いを弱めたり、
ときには立ち止まったり、視野を広く持って周りを見渡してみたり。
そういったことは必要で、そしてとても大切だと思います。
まっすぐ、ということはともすれば正しさ、に結び付くようなことだと思いますが、
これが曲者で、自分の中で正しいことなんだ、と認識してしまったらそれはとても
とても危険なことだと思ってます。
あくまで、自分はこうなんだ、性質としてまっすぐなんだ、で留めないと。
でなければ、自分はいつでもまっすぐであるべき、それが当たり前、だから
まっすぐじゃなければだめだ、なんて自分を追い詰めたり、
なんでそんななんだ、もっとまっすぐ向き合えよ、なんでできないんだ、なんて
周りの人を追い詰めたり。
正しさ、というものにとらわれて縛られてしまいます。
そんな風にできることもある、できないこともある。
できる日もある、できない日もある。
そもそも、向き合い方はいろいろあって、他の人にはほかの人なりの向き合い方が
ある。
まっすぐ、ということもそのうちのただの一つのやり方でしかない。
こんなことを常に忘れず、もっと自由に、もっと楽しく。
いろんなやり方を楽しんだり、自分にはできない人のアプローチを憧れを持って
見つめたり。
そんないろんな中のひとつとして、自分のまっすぐも大切にしていけたらいいなぁと
思いました。
(写真のセンサーゴミがお見苦しくてすみません。後処理で消す技量がなかった
もので・・・このセンサーゴミはこの後しばらくして、正月に奇跡のように
なくなってくれました)