空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

まっすぐはいいことだ。でもいろんなやり方のひとつなんだ。

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僕という人間を一言で言うならば、まっすぐな人間、ということになると思います。

物事に向かうとき、人と向き合うとき、仕事に向かうとき、くらしと向き合うとき、

音楽と向き合うとき、体を鍛えることに、など。

ストイックと言ってもいいくらいまっすぐ真面目に向き合います。

そこには表裏もなく、ごまかしもなく。

自分で言っちゃえば、このこと自体はいいことだと思っています。

 

ただ。

このまっすぐさというのは、一つ間違えるとまっすぐさに勢いがつきすぎて、

その向かっている先のもの、こと、人、を傷つけてしまうこともあります。

攻撃のようになってしまったり、知らず知らずのうちに追い詰めてしまったり。

 

自分の性格を考えると、まっすぐさを曲げたり、迂回したり、見て見ぬ振りしたり、

自分の気持ちをごまかしたり心に嘘をついたり、というようなことはできないん

ですが、

だからといって、これが自分なんだ、何も変えなくていいんだ、という話しでは

ないなぁ、と。

自分の芯は変えずとも、そのまっすぐさに柔軟さを加えたり、勢いを弱めたり、

ときには立ち止まったり、視野を広く持って周りを見渡してみたり。

そういったことは必要で、そしてとても大切だと思います。

 

まっすぐ、ということはともすれば正しさ、に結び付くようなことだと思いますが、

これが曲者で、自分の中で正しいことなんだ、と認識してしまったらそれはとても

とても危険なことだと思ってます。

あくまで、自分はこうなんだ、性質としてまっすぐなんだ、で留めないと。

でなければ、自分はいつでもまっすぐであるべき、それが当たり前、だから

まっすぐじゃなければだめだ、なんて自分を追い詰めたり、

なんでそんななんだ、もっとまっすぐ向き合えよ、なんでできないんだ、なんて

周りの人を追い詰めたり。

正しさ、というものにとらわれて縛られてしまいます。

 

そんな風にできることもある、できないこともある。

できる日もある、できない日もある。

そもそも、向き合い方はいろいろあって、他の人にはほかの人なりの向き合い方が

ある。

まっすぐ、ということもそのうちのただの一つのやり方でしかない。

 

こんなことを常に忘れず、もっと自由に、もっと楽しく。

いろんなやり方を楽しんだり、自分にはできない人のアプローチを憧れを持って

見つめたり。

そんないろんな中のひとつとして、自分のまっすぐも大切にしていけたらいいなぁと

思いました。

(写真のセンサーゴミがお見苦しくてすみません。後処理で消す技量がなかった

 もので・・・このセンサーゴミはこの後しばらくして、正月に奇跡のように

 なくなってくれました)