※撮影:2024年8月。自宅、庭、通勤途中、近所。
カメラ:X100F。フィルムシミュレーション:クラシッククローム。
絞り優先モード、WB:晴天/R:-3/B:-2、ハイライト:+1、シャドウ:+1、カラー:+2、
DR:オート、NR:-4、シャープネス:+1、グレインエフェクト:弱。
連休二日目の昼過ぎ、ぐっすりと寝てようやく体調も回復したので思い立って、
「PERFECT DAYS」を見ました。
自分はこの映画を見る前は、人間関係の色々なしがらみを捨てた人が貧しいけれど
自分らしく心豊かに生きている様子が描かれている、と思っていました。
普段から愛読しているBlueさんのブログでこちらの映画に触れられていました。
その感想を読んでみるとどうやらそんな一筋縄な映画ではないな、と・・・
実際に映画の中で描写されている目に見える事柄は、しがらみを捨てた人が
豊かに・・・ということに近かったです。
平山という主人公が公衆トイレの掃除という自分の仕事を毎日丁寧に行い、
公衆浴場に通い、なじみの大衆酒場で夕食をとり、夜は文学書を古本で読む。
昼休みを撮る神社の森の中で見つけた苗木を大切にもらい、家で育てる。
そんな日々を、自分の人生を生きている。
ああ、やっぱり自分の世界をしっかりと生きている人の完璧な日々ということ
かな、と思いましたが・・・・
自分は、迷わない人、いつもほがらかな人、おおらかで優しい人に憧れていました。
自分の世界を持っている人。嫉妬しない人。自然と仲間が集まってくる人。
いつも笑顔が絶えない人。人の目を気にしない人。そんな人に対して。
いえ、今この瞬間も憧れを持っています。
そしてそれは、自分がそういう人間ではないということを自分が思い知らされている、
ということでもあります。
自分という人間は、人の目を気にします。嫉妬もします。仲間と一緒に行動したいけど
なかなかうまくそういう機会が持てなかったり続かなかったり。
人に優しく親切にあろうとするけど、ちょっとしたことに腹を立て、人を傷つけ、
そして自分も傷ついたりしています。
その結果、日々悩み、迷っています。
いつの日か人の目を気にしない、迷わない、細かいことを気にしない、優しく
おおらかな人間になれるかな、と思って、それを目指していましたが、
いつまでたってもそうはなれません。
人生を達観し、周りに何があろうと自分の生きる道を淡々と生きているように
見える主人公の平山さん。でも実はそのときどきで感情が揺れ動いていました。
動揺もしていました。
子供に親切にした後でその子供の親の心無い反応に憤ったり、仲間に親切にしたせいで
にっちもさっちもいかなくなって自分の大切なこだわりを泣く泣く切り崩すときには
ため息をついていたし、よく見れば毎日の暮らしの中でもいろいろな感情が渦巻いて
いることがわかります。
そして何より、そうした生き方をするために捨て去ったであろう過去、人間関係に
ついて、完全には捨てきれていないこと、それについての気持ちの揺れ動き、
残された人への謝罪のような気持ち、後悔、罪悪感、あるいは怒り、そういった
負の感情も抱えきれないほど残っていて、簡単に断ち切れるものではないという
ことが分かります。
映画の中では、そういったことが激しい感情表現や言葉では表されておらず、
一見すると淡々と、平静に毎日を過ごしているようにも見えますが、そこかしこに
そういった気持ちの動き、残照が見え隠れしていました。
そして僕はそのことに、とてもほっとしました。
映画の登場人物ではありますが、役所広司さんの演技、存在感でいつしか実在の人物の
ように平山さんを見ていました。その平山さんを通じて思ったのは、完璧に悟った人
なんていないということ。
どんなに平静に見えても、動じないように見えても、自分の世界を持って生きている
ように見えても、心の中には、迷いも、悩みも、苦しみも、怒りもある。
そのことに気づいたときに、それでいいんだという風に思えました。
とはいえ平山さんの毎日、行動、気持ちは基本的にはとても安定しています。
自分の世界を持っています。
苗木を育てることも、フィルムカメラで写真を撮ることも、カセットテープで音楽を
聴くことも、何かを発言することも、相手からどんな反応があるのかということを
気にしていないし、そもそも相手なんてなくて、誰にも知られなくてもいいし、
自分の中から自然に湧き上がるものを自分の中で消化している、そんな風に
見えました。
一方自分はそうではありません。
いえ、そういう風に行動できていることもあれば、
人に知ってほしくて仕方ない時もあったり、相手の反応が気になって行動している
ときもあったり、揺れ動きまくっています。
だからこそ、やっぱり平山さんのような人に憧れを持ちます。
迷わない人に憧れを持っていたように、まったく同じ感情を今も感じます。
だから余計に苦しくなります。こうなりたいのにこうなれない。
なんでこうなれないんだろう。そのことを強く感じます。
映画を見ているときにもその感情を感じました。
だけど、見終わった後で、そこまで含めて、それでいいんじゃないかな、と思えた。
あるいは、そういう憧れと、なれない自分と、苦しむ自分と、そしてまた憧れる、
それを繰り返す自分というものを受け容れることができたように感じました。
この映画の感想を聞かれても、なかなか簡潔に答えにくいな、と思いました。
(ブルーさんの感想が一言で終わらなかったことも、勝手ながら同感に思いました)
いろいろなことを思うし、そもそも物語なのかドキュメンタリーなのかよくわから
ない、
(物語なら登場人物の行動に意味がありますが、それはどういう意味なんだろう、
良いことなのか?そうでないのか?わからないこともたくさんありました。
ただそこにその人物の行動と発言があった)
けれども、一つ間違いなく言えるのは、自分はこの映画を見てよかったな、と
思いました。
なぜなら、そんな風に自分の心が映画を見る前より解放されたと思ったからです。
自分はこれからも、迷って、失敗して、人を傷つけて、自分も傷つけて、
悩みながら生きていく。後ろ向きではなく、前向きな、明るい諦観。
・・・・・・
映画を見た後で日課である犬の散歩に出かけました。
そのときにふと思い立って、周りの人に迷惑にならない程度のかすかな音で
持っているスマホで音楽をかけながら歩いてみました。
www.youtube.com
夕方の諏訪湖沿い。
散歩をしている人がいました。一人で歩いていたり友人と話しながら歩いていたり。
同じように犬の散歩をしている人がいました。
散歩を通じて知り合ったその人にあいさつをして、犬同士もじゃれあって。
夕暮れがだんだんと青く、暗く、夜の景色に変わっていきました。
ああ、なんて世界は素晴らしいんだろう。
こんなにも自分の周りには美しいものがあふれていて、優しい気持ちがあふれていて、
自分に対する好意もあふれている、そのことに感動を覚えました。
自分の周りにはこんなにも奇跡にあふれていたのか。
かけていた音楽が素晴らしいおかげで感じた錯覚かもしれないですが、
それでもかまいません。
だってこんなにも自分は世界を素晴らしいと思い、自分は幸せだと思えるから。
周りに対して感謝を感じられるから。
それはまるで映画のエンドロールのように美しい景色でした。