空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

花火の思い出

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昔。

僕は子供の頃に花火をした記憶がほとんどなくて、実際にはしていると思うし、
多少記憶が残っているんだけども・・・

覚えているのは、小さい頃は仲間外れにされていて、少年野球もやめて、図書館で
一人でたくさんの本を読んでたくさんの絵を描いていたこと。

家の周りの庭が大きくて森のようで、大きな松の木の中にもぐりこんで自分だけの
秘密の枝に寝転んでいたこと。

単身赴任で休みの日も出かけてしまう父親とはほとんど会話がなく怒られてばかりで、
何を期待したのか当時も今も分からないけど、じゅうたんにマジックで落書きをして、
そのことを仕事机に向かう父親に正座しながら告白しているときの様子。

中学に上がって友達ができたとき、きっと親が一人一人の家を回ってお金を払って
お願いして友達になってもらったんだろうな、と思った気持ち。


覚えているのはいい記憶よりも嫌な記憶がおおいけど、妻に言わせれば、人間
嫌なことは覚えているんだよ。楽しかったり幸せなこともいっぱいあったけど
きっと忘れているんだよ、と。

今。

息子や娘は花火をとても楽しみにしていて、一年中楽しみにしていて、
そして花火をやるそのとき、時間にしたら短い間、全力で花火を楽しんでいる。

毎日たくさん笑い、たくさん泣いて、たくさん話しをして、疲れて、よく寝て、
そしてまたたくさん笑っている。

僕も実際にはそうだったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。
そして覚えていないことがたくさんあるように、息子たちもほとんど覚えていない
かもしれない。
だけど、それを覚えている必要もなくて、僕も思い出そうとする必要もなくて、
なんにしても自分は今ここで楽しく幸せに暮らしている訳で、その暮らしに
登場できる人間になったわけで、だからよかったわけで。

昔のことも、まぁいろいろありました、ということでしかなく、そこに必要なら
意味を持たせればいいし、図書館でたくさん本を読んだから今でも本が好きな
人間になれました。

仲間はずれが多かったおかげで、周りの動植物と触れ合う機会がたくさん持てて
今も小さな自然に興味を持つ人間になれました。

昔は昔。今は今。
そして、もしかすると、あるいは、きっと、子供たちも毎日すごいことがたくさん
ありすぎて、全然何もなかったように忘れてしまうかもしれないので、そういうことを
僕が覚えておこう。
いや、もうすでにたくさん思い出が詰まっているし。
きっと、これが親の務めなんだろうな、と思ったり。