空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

自分の夢ってなんだろう

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  ※撮影:2020年4月。近所。


今までもブログに書いてきましたが、僕は自分の夢が分かりません

子供の頃はファーブル昆虫記にはまって昆虫博士になりたくて。
中学で絵を描くことが好きになって美術の先生になりたくて。
大学でTVゲームにはまってゲーム制作者になりたくて。

昔はなりたいもの、夢があったなぁと思います。
美術の先生になりたくて教育学部に通って、そこで出会ったTVゲームの
魅力に取りつかれて、教員採用の二次試験をけって、なんのあてもなく
信州の田舎から状況(親不孝だな~(笑))
ゲーム会社でバイトしながらゲーム会社の就職試験を何社も受けるも落ち続けたので、
こりゃまずい、とりあえずパソコンやシステム制作を学ぼうとIT企業に就職して、
なんだかんだ仕事が面白くて10年。
その間に結婚し、妻が喘息にかかったために空気のきれいな田舎に戻り、今度は自然に
関わる仕事がしたくなって、妻が見つけてくれた自然素材で家を建てる工務店に務めて10年。
会社と大喧嘩して放り出され、システム会社に勤めて今に至ります

こうして振り返ってみると、社会人になる前はそのときどきの夢に向かって動いて
いたなぁと。
で、社会人になってからは、夢をあきらめて・・・というのではなくて、その
ときどきが楽しくて、充実していて、そして会社やお客さんの期待に応えよう
夢中になっている内に年月が経っていたなぁと。

とはいえ、がむしゃらな30代も過ぎて、40代になってくると少しは視野も開けて
見通しも立ってくるので、会社の求めるものだけをやっていると、じゃあ自分は
何がしたいんだろう、っていうことを考えるようになってきます。
ゲーム制作、という今のところの最後の夢の後、自分の中には明確な、なりたいもの、やりたいこと、夢というものがないことに気づきます。

今、というものは充実していてとても幸せなんですが、でも、例えば(自分から
見ると)夢に向かっている、努力している、やりたいことを切り開いている
同世代の人たちが凄く気になるし、なんか焦りに近い気持ちが沸き起こるし、
夢に向かって素直に生きよう、自分の夢を信じよう、という文章を見れば、
う~ん、そもそも夢がない人はどうすればいいんだだろう、って悩みが
わいてくるので、ああ、やっぱり(夢がないことを)気にしているんだな、と
自分でそのとこに気づきます。夢は悩みの種。

それが、少し変わったのが去年の後半。何となくだしおぼろげですが、自分が好きな
ことは人と話すこと。相手の相談に乗って、悩みを解決することだと気づきました。
今までいろんな仕事をやってきましたが、その点だけはずーっと一貫して
そういう仕事をしてきたな、と気づきました。

そして今年。やりたいことが分からない、でも今のままだけじゃなくて、何かを
見つけたい。
そういう風に感じていること、考えていることって、もしかしていいことじゃない?
って思いました。
そういうもやもやした感じ、なんかそれってまるで思春期みたいだな、と。
もしかしてこれって青春じゃん!みたいな(笑)

・・・・・・・・

僕は、人と話しをしたり、文章やコメントのやり取りをしたりすると、大概、相手の
温度感を上回ってしまい、あるいはちょっと頓珍漢な方向に行ってしまい、
相手の意図しない返事やあ、いや、そんなことでは・・・というような感じや、
(僕の)自分語りになってしまい、相手が反応に困る、ということが多くて、
自分でも相手を困らせてるな~と感じていたのがなんとなく無意識に、相手との
距離を取る、とか、返事を抑える、とか、そういう感じになっていたな、と
去年を振り返って気づきました。

ブログ以外のネット上での自分の気持ちの発信、というものも、してないわけじゃ
ないけど何となく抑えていたように感じます。

今年は、そういった無意識の遠慮、あるいは、人から見たらこう見えるのかな、と
(これまた無意識に)自分にブレーキを微妙にかけていたのをとっぱらい、
自分が感じたこと、
思ったことをどんどん出していこう、と決めました。


相手を傷つけてしまうかもしれない。そのときは心から謝罪しよう
相手が反応に困ったりするのはごめんなさいだけど、そこは気にせずやっていこう。

実に小さいことですが、小さくても自分を抑えていたものを取っ払うことで、
自分の夢探しに近づける、そんな気がします。

子供の頃好きだったのは、生き物と実家の庭と青い空と、本を読むこと。
それからさらに好きになったのは美術と音楽とプラモデル、そして写真。
そして、体を動かすこと、人を笑わすこと、人を好きになること、が好き。

今の自分の中に確かにあることはそういう「好き」というものしかないけど、
何かを習得したり積み重ねたものはあんまり見当たらないけど、
でもその「好き」がきっと自分にとって一番大切なものだから、それを胸に、
夢を探していきたいと思います。

成し遂げたものはまだない。でもそれは可能性がいっぱいあるっていうこと。
去年はまでは夢が分からないことがもやもやでしたが、今は、それはワクワクに
変わっています。

誰かに、夢はなんですか?なりたいものはなんですか?と聞かれたら、
「はい、夢は今探しているところです。なりたいものも見つけているところです」
と自信をもって答えていきたいと思います。


・・・・・・・・

 

追伸。

みなさんからのコメントを見ているうちにわかったことがありまして。
返信の前にそれを追記したいと思います。
(ブログの主題とずれちゃいますが)

〜(僕の)自分語りになってしまい、相手が反応に困る、ということが多くて、
 自分でも相手を困らせてるな~と感じていたのがなんとなく無意識に、相手との
 距離を取る、とか、返事を抑える、とか、そういう感じになっていたな、と〜

これ、なんでだろうなぁと行き着いたのが、やっぱり前の会社でした。
その頃の僕は、そこで出会った同僚や上司、そしてお客さんのことを本当、滑稽になる
くらいに真剣に考え、親身になって、その人を応援しよう、守ろう、幸せにしよう、と
躍起になっていました。距離を縮めてアプローチして、苦楽を共にして、喜怒哀楽を
ぶつけて・・・その結果、お互いに傷ついた、ということがたくさんありました。
相手を傷つけた、というのが適切でなければ、相手を疲れさせた、と。
不幸な結果を迎えたことがたくさんありました。
(会社やめざるをえなくなったのもまぁその一つかなぁ)

それが怖くて、もうあんな思いをしたくない、そう無意識に思って、距離を縮める、とか、
自分が感じるように相手に伝える、ということを無意識に避けていたのかな、と。

でも、今思えば、距離を縮める、自分らしさでアプローチする、そのこと自体が不幸を
生み出したわけじゃないよな、と。あるいは、不幸な結果であれなんであれ、それもまた
コミュニケーションの結果生まれたものだし、それについてどう向き合うか、どう対処する
かの自由はお互いにあるわけだし。
問題点は、相手と距離を縮めるとき、きちんと問題の分離ができていたか、親身になり
つつも、これは相手の問題、これは自分の問題、と分けられていたか、イメージで言えば
きちんと自分の自立のバランスを保って近づけたか、あるいはそうではなく自分からも
相手によりかかってしまっていたのではないか、と。

今は、それがわかるようになりました。ならば、今することは、自分らしさを殺すことで
なく、でも、きちんと自立を保って、相手によりかかってしまって相手の自由や選択を
奪わず、自分の気持ちも相手の反応によって右往左往することなく、そしてなお、自分の
心のうちからの声に従っていくことだと思いました。