空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、手紙のように綴った写真の記録。

自分自身の「こうあらねば」。今まで自分を守ってくれてありがとう。そして・・・

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※撮影:2021年10月。諏訪湖、自宅。

犬暮らしでちらっと書いたりしてますが、ここ最近思ったことです。
自分は割と、世間的なルールとか、こうあらねばっていうものを負荷に感じていなくて、
っていうのはそういうルールから外れたアウトロー的な生活はしていないけど、かといって
その価値観に別に縛られてもいない、ってことなんですが、
しかし、自分自身で決めたこと、今まで積み重ねてきたこと・・・自分で決めた
こうあらなねばっていうものはたくさん持っていて、それを守ってきました。

きちんとしよう。
整理整頓しよう。
人には親切にしよう。
物事を決断しよう。
人にも自分にも公平でいよう。
相手の強さで自分の態度を変えることはやめよう。
見て見ぬふりはやめよう。
手を抜かず努力しよう。
・・・・

そういったものが、今までの暮らしや、仕事や、人間関係や、僕の生き方そのものに
背骨を通してくれていました。それは自分の人生を生きる上でのよりどころと
なってきました。
しかし、今それらに縛られている不自由さを感じて、この先も同じように生きていくのか、
ということに疑問を感じています。

なんでこういうものが必要だったかといえば、小さい頃、親がとても厳しかったこと、
自分が勉強の出来が悪かったこと(九九の暗唱ができるまで寝かせてもらえなかった
場面は今でも容易に思い出せます)。
自分の素の感想、素の意見、素の言葉が常に周りから、ん?って感じで、自分が
回りが聞いていることに対してずれた回答をしていたこと。
小学校のときはいじめられていて、それで少年野球をやめて、以来野球や団体
スポーツが苦手になったり、ずっと図書館にいてそこで本を読んだり落書きばかり
していたり。

そういった積み重ねが、そういう反応をされることが嫌で、できないと思われたくない、
弱いと思われたくない、っていう気持ちが必死でいろんなことを学習させて、身に着けて、
自分の心を守ってきたんだろうなぁ、と。
そうして身につけたものは、強さや誠実さ、そんなものにつながってきました。

でも、例えばいつでも公平にあらねばならない、っていうことが、あるいはいつでも
同じ態度でいなければならない、っていうことにつながり、そしてそれが自分にとって
非常に息苦しく感じるようになってきました。
他にもいろいろ、自分の身を守るはずのものが自分の重荷になって、自分の行動の
足かせや、あるいは駆り立てるものになってきました。

きっと、そうやって身にまとった「立派さ」からはみ出す部分、ついていけない部分が
今の僕には増えてきたんだと思います。
あるいは、はみ出す部分がたくさんあったんだ、ということに気付いてきたんだと。
いえ、元から知っていましたが、それを押し殺すことに限界を感じるようになってきたん
だと思います。

物事をまっすぐに深く考えることが苦手なこと(すぐ思考がそれてしまう)。
人との別れをうまく自分の中で咀嚼できないこと。
人との適度な距離感が分からないこと。
一貫した考えを持てないこと。
物事を決められないこと。
人の気持ちを推し量るとそれがずれていること。
いろんなことが怖いこと。
頭の回転が遅いこと。
弱いこと。

結局、身を守ろうと身に着けたものの内側には、昔と変わらない自分が残っていて、
でもそれを自分でも認めたくないから、そういうものを感じたりこぼれそうになると
無理に自分を強くみせようとしたり、畳みかけたり、攻撃的になったり、硬くなったり。
無理をしているということに気付きました。

もういいかな。
昔は・・・いえ、ちょっと前までは、そんな風な周りの反応が怖くて、それって
きっと周りから誰もいなくなっちゃうんじゃないか、もう誰も相手してくれなくなっちゃう
んじゃないか、軽んじられてしまうんじゃないか、距離を取られてしまうんじゃないか、
またいじめられちゃうんじゃないか・・・

そんなことを怖がってたんですが、まぁいいじゃん、そういう風に思われても。
そういう風にされても。
きっと、自分にとって本当に大切な人たちは、そんな自分の弱さをとっくに知ってて、
それを自分が気にしていることも知ってて、で、何?って、ほんと物事を決められないねぇ
って笑って、そしてそばにいてくれてる、そんな人たちなんだってことに気付いたから。

今まで、こうあらねばっていうものは今まで自分を守ってくれていました。
自分を形作ってくれていました。
そのことには今も変わらず感謝しています。

そしてこれからは、その下に今も変わらずいる、ある、立派じゃない、弱弱しい自分。
それを曝け出して、それでもそこにいてくれる大切な人たちと一緒に、そんな自分の弱さを
笑って、自分のできなさを認めて、そしてしょーがねーなーって言いながら受け入れて、
自分のやりたいことをやって生きていこうと思います。
そう思って何日か過ごして、むき出しの自分で人と会う、話す、普通に他人と接するのが
こんなにも不安で、心細くて、怖いものなのか、ということを実感していますが、でも
ここで、その心細さを傍らに、むき出しの自分で居続けたいと思います。