空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

あけましておめでとうございます。

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このタイトルは一体全体今頃なんのつもりか、なんですが。

たびたびブログ内で言い訳しているように(苦笑)、UPする写真はだいぶ以前に
撮ったものとなっております。
撮った写真をUPするか没にするかは相当厳しく選別しているのですが(自分基準)、
選別された写真をどのようにUPするか、については完全に放棄していて・・・
テーマ別に集める、とか、時期を見計らう、とか。
ただただ、古い方から順番に写真をUPしています。
(そして文章も写真とは全く関係しないことばかり書いているので
 読みづらいことこの上ないわけで。
 そんなこちらのブログにお付き合いいただけること、ただただ感謝ばかりです)
 
そうやって選別しても結構な量がありまして、ブログもせいぜい週二回のUPで。
だんだんと遅れて行って、で、ようやく写真の時期が今年の1月1日まで来た、
ということになりますので、一体全体、何の意図も意味もありませんでした。
 
年末年始は妻の実家がある香川県高松市に帰省するのが習わしとなってます。
元旦は実家のすぐそばの河川敷に家族全員で日の出を見るのがすっかり
恒例行事になりました。
自分は早起きなので日の出はほぼ毎朝見ていてそのたび清々しい気持ちにはなります。
でも家族全員で日の出を見ることを目的に外に出て、そして実際に拝むというのは、
やはりピリッと身が引き締まり、敬虔な気持ちにさせてくれます。

昨年も家族で無事に過ごせました。家族(犬)も増えました。
穏やかな日々を過ごさせていただき、ありがとうございます。
神社や、お地蔵さん、お寺、そして人間よりも大きな存在と感じるものには
感謝を伝えよう、お願いはしないでおこう、といつも
子供たちに話しているので、この時もこのようにしました。
 
さて。
世の中はいやおうなしにコロナ。飛び込んでくる情報は悲しいことであったり
(このタイミングでみなさんもご存じのとても悲しい情報が入ってきました)
暗い話であったり、自分勝手な行動で憤りを感じることであったり・・・
自分や大事な人がかかるかもしれない不安。
それ以上に、自分が知らない間にかかっていて加害者になっているかもしれない
恐怖。

もちろん、情報に接したとき、そのように感じること自体は自然なことで、
これはしょうがないというか、まぁそう感じちゃいますね。
 
でもちょっと考えてごらん?
だけど、そこから想像をたくましくして、その結果負の感情をさらに大きくしたり、
攻撃的な気分になったり、情報に接していない時でも暗い気持ちになったり・・・
というのはもったいなくないかい?
君の限られた人生の大切な一日一日をそんな風に使ってしまうことが。
悲しみはしっかりと心に刻みべきだよ
負の感情も無理に抑える必要はない。
でも、それはそのときのこと。
それ以外のときまで悲しみや負の感情を背負っているのは、自分でそう
決めてしまっているんだよ。
だったら、その気持ちはそこでおしまい。君の目の前にあること、身の回りのこと、
暮らしの中で感じる感情を大切にしよう。君のやるべきことをやろう。
そんな風に決めることもできるんじゃない?
 
そんなメッセージをこのタイミングの写真から受け取りました。
 
もちろん、実際の暮らしの中で直接な被害が出たり、最前線で戦ったりしている方は
それどころではないですよね。
そんな方達にはただただ頭を下げるばかりです。

しかし、そのどちらでもない自分は、自分がすべきこと、気を付けなければいけない
ことをしっかり気を付け、そして大切なのは、自分以外の人たちのことを信じる。
人を信じる。
誰もがそれぞれの持ち場で一生懸命なんとかしようとしていると、
そのあがきも含めて信じて、毎日を前向きに、そして楽しいことを感じて、
考えて、毎日訪れる今日を過ごしていこう。
そう思いました。
 
穏やかな日々から少しはみ出してしまっているけど、でも今だって十分かけがえの
ない日々。
最前線で今も戦っている人たちに感謝を。
そして守られている自分は、守られていること、そして守られた日々に感謝し、
できる範囲の中で最大限楽しんでいこう。
人を信じよう。
 
・・・冒頭でこのタイミングに意図や意味はない、と書きましたが、そして
やはり意図はないですが、しかしこのタイミングの偶然には、意味はやっぱり
あったのだな、と。

そんな思いをこめて、今改めて、自分自身、そしてみなさんに。
あけましておめでとうございます。
元旦の清々しい気持ちを思い出して、またここからまた始めようと思います。