空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

絞るということ。構図を整理するということ。

※撮影:2022年12月。会社の窓、諏訪湖、近所。カメラ:X100F/クラシッククローム。

会社の窓からの景色が以前より自分の撮りたいと思っているように撮れてきたな、と。
暗い街に朝が訪れて少しずつ照らされていく様子がちょっと収められ来たな、と。
そして諏訪湖の澄んだ空気。だいぶ自分にとっては馴染みの写真になりました。
自分の中で新しいな、と思うのは、最後から二枚目の車がたくさん並んでいる写真。

11月の頃だったと思うのですが、絞りをちゃんと考えようということを始めました。
始めました、っていうか、昔はそうだったんですが、X100Fの開放の写りがとても
気に入って、もうずっと開放(あるいはそれに近い)の絞りで撮っていました。
(開放だと出てくる四隅が暗くなるとか質感が荒れるとかピントが甘くなるとか
 そういうのは自分にとってはむしろご褒美)

ただ気づくと、後ろがボケるから、構図の整理にあんまり気がいかなくなっていたな、
と。そこまで構図を工夫しなくても絵として成立するので。

そもそも、なんですが、いい構図って人によって違うというか、いい構図って
イコール好きな構図、ってことになると思っています。
教科書的にはいい構図ってあるし、実際に確かにその手の本を読めばうん、確かに
いい構図だわ、って思うんですが、でもだからといって、お手本のとおりの構図に
収めようって構図を決めても楽しくないんですよね(笑)
その構図の意味が先っていうか、自分の中でこう撮りたい、これを撮りたい、これを
伝えたい、そのためにはどうすればいいか?っていうのが先にあってそれを助ける
ための道具として構図があると。

他の方の写真を見て・・・それはブログであれSNSであれ、そして書籍であったり
教本的なものであったり・・・いいなと思い、自分が知らない、発想できない、思い
つかないアイデアとして吸収する。
そして、実際に写真を撮りたいっていうときに、撮りたいもの、伝えたいものの表現を
試行錯誤する際に自分の心に残った構図を試してみる、あるいは、いいなと思った
構図を試すために写真を撮ってみて、それを見て自分がどう感じるかをこれまた試してみる。

どちらでもいいんですが、ともあれ、構図というのは決まっているものではなく、
ましてこう撮らなければいけないというものでもない。
寄り道が過ぎましたが、つまり、これを撮りたい、これを伝えたいが人によって
違う(と思う)ので、この被写体ならこの構図、とかはないなぁと。
なんで、撮りたい!!っていう瞬間に出会ったときに、その場その場で
瞬発的に何を写して何を写さないか、向きは?光は?明るさは?みたいなことを
判断する必要があると思っていて、それが頭で考えるか体がとっさに動くか、
感性か、直観か、理性か、いろいろあると思うんですが、いずれにしても
その場その場で判断すると。
写したいものの後ろが一様にボケていればその分判断の要素が減るのでとてもいいの
ですが、ずーっとそれをやってたらなんか昔より判断力がにぶってきたな、って
それがあって、これは絞る場面なのか、開放する場面なのか、ということと、そして
いずれにしてもきちんと画面を整理する、でも撮りたい衝動の瞬発力がスピードや
タイミングを逃さないでね!!
みたいなことをやりだしました。

絞るようになった最初は、質感も悪いしすげー写真が下手になった~みたいな感じで
へこんでいましたが、やってるうちにそういう意識もできるようになってきたかな。

いうほどお前の写真それできてるの?っていう疑問はあるかと思いますが、基本この
ブログは自画自賛をベースにしていますので(笑)、あくまで主観的にはってことで。
てことで、いつから変わったかもはっきり覚えてないんですが(苦笑)、少しずつ
進歩してたらいいなぁと。