空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

誰もが平凡で、誰もがユニークで。

※撮影2023年11月。諏訪湖、会社、庭、自宅。
  カメラ:X100F。フィルムシミュレーション:クラシッククローム。
  絞り優先モード、WB:晴天/R:-3/B:-2、ハイライト0、シャドウ:-1、カラー:-1、
  DR:100、NR:-4、シャープネス:0、グレインエフェクト:弱。

僕を構成するもの。

・写真を撮るのが好き。
・音楽が好き。
・読書が好き。
・映画が好き。

ま、よくあることですね。そのへんにいっぱいいそうです。
特別なことは何もない。
でも、どんなカメラが好きか。どんな風に撮るのが好きか。
そうやって一つ一つ細かく見ていったら。そしてそれらを組み合わせていったら。
他の人との違いは誤差のようなものかもしれないけど、俯瞰して見たらその他大勢
かもしれないけど、それでも、きっと組み合わせた細かい属性の集まりは世界に
一人しかしない存在になるはず。
一意=ユニーク。

X100が好きで、肌身離さず持ち歩いて、毎日見る光景を撮るのが好き。
ムーンライダーズが好き。コーネリアスが好き。テクノが好き。
舞城王太郎が好き。伊坂幸太郎が好き。ニックホーンビィが好き。
押井守が好き。スターウォーズが好き。ゴジラが好き。
薪ストーブの暮らしが好き。薪づくりも好き。
筋トレも好き。
犬と亀と金魚を飼っている。
朝起きて、部屋に光が射してくるときが好き・・・

一つ一つは平凡であってもそれを組み合わせればかけがえのない自分という
存在になるし、周りの人だってみんな同じようにかけがえのない存在になる。
平凡であることは何も怖くない。嘆くことでもない。むしろ本当の意味で、
平凡な存在、なんていうものは世界のどこを探してもないのだと思う。

まぁ本当は、表面上でも、平凡であっても非凡であっても自分の価値には関係ないし、
どちらにしても自分にとっての自分は自分だけ。当たり前だけど。それだけで
唯一無二。それだけで価値がある。
平凡であってもいいし、非凡であってもいいし。人と同じでもいい。違ってもいい。

でもどうせなら、そうやって世界に唯一の組み合わせ、って考えたらちょっと
うれしいかも。
薪割をしながらカメラで写真を撮りながら電気グルーヴを聴いてる人は世界に何人
くらいいるかな?なんて考えたら面白くて。

というようなことを、先日の休日出勤中にふと思いました。
さぼってないで仕事しなきゃね(^^

自己満足で独りよがりな写真趣味。



※撮影2023年11月。諏訪湖、近所、会社、カメラ。
  カメラ:X100F。フィルムシミュレーション:クラシッククローム。
  絞り優先モード、WB:晴天/R:-3/B:-2、ハイライト0、シャドウ:-1、カラー:-1、
  DR:100、NR:-4、シャープネス:0、グレインエフェクト:弱。

割と、ブログには多めに写真を選んでいるのですが、他にやっているインスタや
フェイスブックの写真グループにはさらに選び抜いた写真のみを投稿しています。
自分の中ではそれらの写真は等価、甲乙つけがたい、というものなのですが、
特にフェイスブックを見ていると、人気のある写真、ない写真見事に分かれてきます。
写真グループの一つは英語圏メインのものなんですが、人気あるときは結構コメントも
くれますが、人気ないときは見向きもされない、ときっぱり分かれています。

なんとな~く、どういう写真が人気あって、どういう写真が人気ないか分かる気もするん
ですが、しかしあえてそこにはそれ以上確信を持たないようにしています。

nagano.hateblo.jp先日、愛読しているこちらのブログの中で散歩とカメラについて書かれている記事が
ありました。それを読んだとき、自分にとってのカメラという趣味はどういうもの
なんだろうって改めて考えるきっかけをいただきました。

かっこいいカメラで歩き回ります。
いいなと思った景色に出会ったらファインダーを覗いて集中します。
そうするとその景色と自分と二人きりの世界、時間も止まります。
その瞬間、ではなく主観的にはその永遠を切り取るようにシャッターを押します。
何枚か撮って我に返って画像を確認して、それが記録されていることに喜びを感じます。
それがまたうれしくてまたファインダーを覗いて・・・の繰り返し。

写真を撮っているときはそんな感じで感情の赴くままだなぁ、と。

理性が働くようになるのはそうやって撮った膨大な写真を選別していくときになります。
何せ似たような(間違い探しのような)同じ写真が膨大にあります。
それをどんどん、冷静に、厳しい目で、撮った時の感情を極力排除して選んでいきます。
それでも、感情を排除しているといっても、あくまでベースは自分の主観、自分の好み、
自分がいいと思うものを選びたいと思っています。つまり独りよがり。

ともすれば、承認欲求と共にきっとこっちの方が人気あると思う、というような気持ちも
湧いて出てこなくもありません。
でも、僕は写真というものに関しては、徹底的に自己満足、主観、自分軸、というものを
貫きたいなぁと思っていまして、そうなると、(他の人の好みとしては)こうした方がいい
というのはそこを薄めてしまうものだな、と思っています。
(自分のさらに理想に近づくには)こうした方がいい、というのは大いに考えて、
自分のための写真を貫いていきたいと思っています。

追伸。
そんな独りよがりの写真を見て頂いて、そしてコメントまで頂いて、もうほんとに感謝
感謝、ありがたいことだと思っております。

日々の身近な美しさに気付けるように、いつでもどこでも撮り続ける。

※撮影2023年10月。諏訪湖、近所。
  カメラ:X100F。フィルムシミュレーション:クラシッククローム。
  絞り優先モード、WB:晴天/R:-3/B:-2、ハイライト0、シャドウ:-1、カラー:-1、
  DR:100、NR:-4、シャープネス:0、グレインエフェクト:弱。

ときどき以前撮った写真を見返すのですが、毎回思うのが今と以前と変わり映えしない、
というか、おお、写真が進化している!!という感じが全くしないな、という。

以前よりも苦手なシチュエーションが減っていろんな場面で撮れるようになったり、
数多く撮った写真を後で見返したとき、いいな、と思える写真が増えたり(打率的な)、
という進歩はあります。
しかし、この一枚!!という自分の中での傑作の上限は変わらないなぁ、という。
以前の写真と今の写真、ブログに上げるような、自分の中での最終選考に残る写真を
シャッフルしたら、どれが以前でどれが今か分からない自信があります(笑)

自分の写真の撮り方はともかくたくさん撮る。暮らしの中でいつでも撮る。
それに尽きます。
他の人の写真を見るということに関しては、ブログやネット、あと写真集で割とたくさん
見ているかな、と思います。
他の人の写真を見て、刺激をいただいて、アイデアもいただいて、次に自分が撮るときに
新しいことを試してみる、ということはやっていますが、とはいえ、ここから先の進歩、
進化を望むならさらに別の取り組み・・・写真教室に行ってみるとか、
誰かに講評してもらうとか、そういうことも必要なのかな、と思います。

が、そこまでのストイックさはないんですよね~(笑)

進歩したいかしたくないかで言えば進歩したくない訳ではないですが、そこまでは
切羽詰まっていないといいますか、写真を趣味としている一番の理由は毎日写真を
撮っているのが楽しい、でして、これからも楽しく撮り続けたい、自分にとっては
楽しいがもっとも大事だったりします。

だったら今のままでいいじゃん、でもなくて、技術を伸ばすということよりは、
まだまだ身近にたくさんあってそして僕が全然気づけていない美しさに気付ける目や心を
育てること。
そしてそれを十分に捉えることのできる細やかさや構図のアイデアを持つこと、
そういったことを身に着けたいと思っています。
(それもまた大きな意味では撮影技術、ってことかもですね)

そしてそのためには、自分の感性を磨くこと。
他の方の写真からアイデアや気づき、ヒントをもっともっと吸収すること。
そうやって自分の視野を広げた上で、さらになにより、日々を大切に過ごしていきたい、
身近な美しさに気付けるように歩くスピードで生きていきたいと思っています。

世の中には、なんて大きな言葉でなくても、自分が拝見しているブログの方たちの写真を
見るだけでも、もっと美しいし、物語も感じられるし、ドラマチックだし、空気感も
すごいし・・・技術、だけではない、それこそエモーショナルな(エモい、とは言いたく
ない)感動が感じられる写真がたくさんあります。
そんな中での自分らしさとは?毎日いつでもどこでも撮り続けていることかなぁ、って
真面目に思います。
地味だし、あんま人目を引く感じはないですが、それでも何十年と撮り続けたら結構
感動じゃん?とか自分で思ったり(笑)
これからもささやかに、でも楽しくカメラを続けたいと思います!

諏訪湖のある街で。


※撮影2023年10月。諏訪湖。
  カメラ:X100F。フィルムシミュレーション:クラシッククローム。
  絞り優先モード、WB:晴天/R:-3/B:-2、ハイライト0、シャドウ:-1、カラー:-1、
  DR:100、NR:-4、シャープネス:0、グレインエフェクト:弱。

今回選んだ写真はたまたま諏訪湖の写真がずらっと並びました。
諏訪湖。
うちから歩いて5分くらいの距離で、子供の頃からずっとそこにあるのが当たり前で、
諏訪湖がある景色が当たり前過ぎて意識したこともありませんでした。

一度故郷を離れ、10年以上経ってこの街に戻ってきて、改めて諏訪湖を見た時に、
ああ、素敵な景色だな、ってはじめて思いました。
そうか、自分はこういう場所で育ってきたんだな。
なんだかこの街も悪くないな。
そのときにはじめて思えました。

結婚して、故郷に戻って、子供を授かって、親となってこの町で暮らして、今まで
知らなかったこと、気づいてなかったこと、目には入っていたけど見てはいなかったことが
たくさんあったんだなぁ、と。

昔はあることが当たり前だった、そして今はとても大切な存在となった諏訪湖。
これからもずっと諏訪湖を撮り続けていくだろうと思います。

今年もまた、日々を暮らす。


※撮影2023年9月〜10月。自宅、諏訪湖、近所、庭。
  カメラ:X100F。フィルムシミュレーション:クラシッククローム。
  絞り優先モード、WB:晴天/R:-3/B:-2、ハイライト0、シャドウ:-1、カラー:-1、
  DR:100、NR:-4、シャープネス:0、グレインエフェクト:弱。

当たり前のタイトルですが。
気がついたら年が明けていました。
明るいムードで・・・と思う矢先、立て続けに災害や事故、事件があり、なんとも
やりきれない年始になりました。
とはいえ、被災地のためにできることをしたら(とりあえず今は募金をしました)
くよくよせず、自分の日常を生きることが大切だと思います。
だから、日々を暮らす。

今回の写真は9月から10月。大晦日、お正月を経てから改めて見返すと、流石の僕でも
だいぶ前の写真だなと思わざるを得ません。
(それでも当時の写真をUPする頑固者なのであります)

記憶を辿ってみると、ようやく酷暑を過ぎて一息つけるようになった頃かな、と思います。
雨上がりとか、諏訪湖の前を行き交う人のシルエットの写真を楽しんでいた頃でも
ありました。
真夏を過ぎた頃の光の色合いが好きだなぁ、と。

今までも、この先も、世の中も、自分の周りも、いろんなことがあって、
いろんなことがこれからも起こると思います。
それでも、大きなことではなく、小さなことに目を向けたい。小さなことを大切に
していきたい。
改めて思い知らさせる毎日の価値を噛み締めながら、
立ち止まらず、かといって急がず、歩くスピードで日々を過ごしたい。
ときどき立ち止まって写真を撮りたい。
立ち止まったときの記憶を辿るようにブログを綴りたい。
そんなふうに思います。

今年もマイペースですが、どうぞよろしくお願いいたします。

追伸。
Art-Foods (id:artfoods)さんから教えてもらった性格新聞をやってみました。

どんなひどい新聞になるかな、とおびえていましたが(笑)
内向的で真面目、肩の力が抜けない、傷つきやすい、個性がない、普通、周りが仲がいいと
焦る・・・書かれているのは思い当たることだったのでよかったです(笑)

(割と自分の把握通りだったのでこれまた意外性がない性格だな、と思いました(苦笑))

夏の思い出。そして、やらかしと万年筆。

※撮影2023年8月。地域の行事、庭、諏訪湖、勤務先の窓、公民館。
  カメラ:X100F。フィルムシミュレーション:クラシッククローム。
  絞り優先モード、WB:晴天/R:-3/B:-2、ハイライト0、シャドウ:-1、カラー:-1、
  DR:100、NR:-4、シャープネス:0、グレインエフェクト:弱。

夏ですね、夏。写真は夏真っ盛り。
今回の写真にあるような、地域の行事と、諏訪湖と、諏訪湖でたたずむ人と、諏訪湖で
誰かがやっていた花火と、朝顔が僕の夏の全てでした。
ひたすらその繰り返し。それが悪くないな、と。
大きなことは何もないんですけどね、でも小さなことの中にいろいろな美しいものが
存在しているな、と。そんな夏でした。

さて。
つい先日、僕は感情的に爆発し、人にイライラをぶつけるということをやっちゃいました。
謝って、そして解決したんですが、でもその後も自分の気持ちが落ち着きませんでした。
気持ちが不安で足元が不安定に感じられて、何をしていてもなんだか心がささくれだって
いるような。そして世界もなんだかささくれだって見えて、それもこれも全部自分が
招いたこと。自分の気持ちが晴れないと、世界はこんなにも見え方や感じ方が変わるのか、
と強く思い知らされました。
全く持って全て自分が原因。絵にかいた自業自得。
強く反省し、二度とないようにしなければと思いました。
穏やかが一番ですね、ほんと、身に沁みました・・・とほほ。

そんな経験でちょっと面白いというか興味深いな、と思ったのが(まぁそんな余裕な
感じではないんですが、手痛い授業料と共に学んだのが)、爆発する前、爆発自体は突然
であったものの、その前に、今から思えば予兆があり、それはストレスやら我慢やら、
そういったものの蓄積が実はあったんだな、ということが後から気づきました。
その気づきは、いつも使っている万年筆と手帳の書き味がイマイチに感じていたなぁ、と。

自分は毎日、その日にあった、よかったことを手帳に書いています。
すぐ愚痴ったり、ともすれば人の文句を言いがちな自分に対して、自分は人にこんなに
よくしてもらってるんだぞ、っていう気づきを与えるためと、これまた人から褒められ
たい、承認欲求が強い自分に対して、自分自身で自分を褒めてあげることで、そうやって
人の目を気にすることなく行動できるように、っていうそんな目的で書いています。

でまぁ、その目的やら書いている内容やらでなくて、その書いている道具のことで、
自分のお気に入りの万年筆と手帳を使っていて、万年筆って使ったことある人なら分かる
と思うんですが、ボールペンに比べると書き味がなめらかですいすい気持ちよく書けるの
ですが、今回の直前は、インクがかすれ気味だったり、ひっかかるような、そんな書き味
がしていました。
今から思えば、本人が意識では感じていないイライラやストレスが体には感じられていて、
それが書くときに影響して、普段より滑らかに書けていなかったんじゃないかな、と思い
ました。

自分が感じたことを感情の爆発であらわすのは論外ですが、それと共に、そういう普段の
自分自身の状態、ストレス、不満、感じるもの、に、意識に上がっていない段階でも
気を配って、自分自身に対する早め早めのケアをすることも大事だな、と思いました。
イライラすることもありますよね、だって人間だもの。
そういう芽をいち早く察知して、うまく逃がす、あるいは解消することも大人として
大切なことだな、という気づきを得た経験になりました。