空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

やっぱり青が好き。

※撮影:2023年3月。諏訪湖、近所、自宅。
 カメラ:X100F。フィルムシミュレーション:クラシッククローム。
 絞り優先モード、WB:晴天R:-3/B:-2、ハイライト:-1、シャドウ:-1、カラー:-1、
 DR:AUTO、NR:-4、シャープネス:−2、グレインエフェクト:弱。

やっぱりもなにも、ずーっと青が好きだしずーっと青が好きと言っているわけですが。
青の中でも赤みが少ない、少し緑がかって、そして明るい、シアンっぽい色が好きです。
僕の写真も全体に青味がかかっています。自分の好みになるようにクラシッククロームを
選び、WBシフトでさらにそれを好みの色味にしている訳ですが、そもそも、目に
入る光景もそんな青色のものを好んで撮りますし、好みの青を目にしたら幸せです。

空を見上げたときにこんな青だったらそれだけでうれしいし、万年筆のインクも青、
ペンケースもシアンっぽい色をした染め革、腕時計のバンドにもワンポイントで青が
入ったものを身に着けて、青を身に着けることでご機嫌でいられます。

体調不良と友人の個展とコニー・ウィリス。

※撮影:2023年2月。自宅。
 カメラ:X100F。フィルムシミュレーション:クラシッククローム。
 絞り優先モード、WB:晴天R:-3/B:-2、ハイライト:-1、シャドウ:-1、カラー:-1、
 DR:AUTO、NR:-4、シャープネス:−2、グレインエフェクト:弱。

GW直前にひどい風邪をひいたと思ったら、今度はGW中にひどい頭痛になって
しまいました。
弟一家の新築を見に行く計画も僕だけ行けず、吐きまくるは何日も頭痛は収まらない
わ、で、GW明けもちょこちょこ仕事を休んだり、夕飯を食べたら風呂に入るのが
やっとですぐに布団に倒れこんでいました。

そうやって布団に倒れこんでも頭が痛くて寝付けないことが多くて、そういうときに、
まぁ僕の悪癖なんですが、すぐ本を読んじゃうんですよね。
頭めちゃくちゃ痛いのに。逆に頭痛から気を紛らわしたいという。
選んだ本がたまたま借りてあったコニー・ウィリスのブラックアウトとオールクリア。

コニー・ウィリスはSFの女王なんて呼ばれている人ですが、ばりばりSFというよりは、
現実にはない道具や発明を小道具に用いるものの、そこで描かれているのはどちらかと
いうと現実や身近な人そのもの。
ブラックアウト、オールクリアはそれぞれが上下に分かれている計文庫4冊分の
小説ですがこれが本来は一つの話。
本が分かれているというだけで一続きのストーリーとなっています。長い(汗)
おまけに、ウィリスの話はいつでもそうなんですが、最初、というか終盤まで描かれて
いるのは、行き違い、勘違い、早合点、人の話しを聞かない、ドタバタしている、
時間がない、大体わがままな主人公、っていう。
それが延々とオールクリアの上巻、つまり全体の3分の1まで続きます(汗)

で肝心の話の内容はというと、2060年、タイムトラベルが実用化されている世界。
ただし現在から過去に行ってそこから戻ってくることはできても、未来には行けない。
過去の物は現在まで持って帰れない。同じ時代に同時に同じ人間が複数存在する
(同じ過去の瞬間にタイミングを変えて二回タイムトラベルするバックトゥーザ
 フューチャー2状態を行う)ことはNG。
タイムトラベラーは歴史を変えることは不可能で、変えようと思っても必ず打ち消す
ようなことが起きて元に戻ってしまうし、変えられそうなタイミングの日時には
そもそもタイムトラベルしようと思っても行けない、という、歴史は変えられない
ことになっています。

タイムトラベルは大学で歴史研究に使われている、という設定です。
3人の学生が第二次世界大戦のイギリスにタイムトラベルしたものの、なぜか3人とも
元の時代に帰れなくなってしまい(帰るためのゲートが開かない)、
戦時下のイギリスで生き残るために、そして元の時代に帰るために奮闘するという
話です。

途中まではとにかく振り回されている。
その時代の世話焼きおばさんや守銭奴の貸家の管理人や悪ガキ姉弟に振り回されたり、
主人公同士で振り回されたり(主人公同士もよかれと思ってのことだけど隠し事を
したり説明しなかったり。要は相手を信頼しきれてない)
イライラおろおろ、帰れない謎は全然分からないし、コミュニケーションはすれ違い
ばっかりだし、戦争はどんどんひどくなっていって、身近な人の死も増えてきて。
それに加えて、歴史は変えられないはずなのに歴史が変わってしまってきた、
もしかしたらイギリスはドイツに負けてしまうかもしれない、という状況も
あらわれてきて、なぜ?何か取り返しのつかないことをまった?というサスペンスも
加わって、それらが一切解決に向かう気配なくどんどんどんどん行き詰まり、重苦しく、
息苦しくなっていくのがオールクリアの上巻めいっぱいまで続きます。
具合の悪い時に読む本ではないですね(笑)

そしてようやく、ようやく(長かった)、オールクリアの下巻から事態が動き出し、
何もわからなかった状況の種明かしが始まる。ここにきて状況は怒涛のごとく
動き出し、主人公たちはそれぞれの覚悟と行動を起こす。
そして(これもまたコニー・ウィリスの常套で)やな奴と思っていたのが実はすごく
いい奴だった。頑張っていた。悪ガキは涙が出るほど守ってあげたくなるし、
ずっと守ってあげていると思っていた、頼りなくワガママな主人公の一人は、実は
逆にずっと守られていたことが分かったり。今までの行動の意味やなぜ帰れなかった
かも判明する。
そんな展開がタイムトラベル物のプロット・・・ドラえもんとか前に紹介した話だと
ディスコ探偵水曜日とか、実はすべての出来事は(現在から過去へこれから行くことも)
起きていた結果だった、という展開がぱたぱたとパズルのピースが噛み合わさっていく。

そしてやがて見えてくる、やらなければいけないことを引き受ける主人公の一人の
最後の決断。自己犠牲じゃないかと他の主人公から責められる、というかやめてくれ
と懇願されるけど、でも決してそうではなく、自分がやれることをする。
誰の助けにもなれない状態はとてもつらかった。そしてこれからは、人を助けることが
できる喜びと誇りに満ちている、ということが伝わってくる、勇敢で、誉れ高い行為に
感動します。

そんな主人公と同じかそれ以上に誉れ高いのが、それぞれの立場でそれぞれの
分を全うしている、一生懸命生きている、自分のやるべきことをやる、明日を信じて
今を生きる、人を助ける、それらのことは当たり前のことだと理解している、
その他大勢の人々。
どれ一つとっても特別なことじゃなくて、でも当たり前のことを困難な状況でも
当たり前にやる、そのことがそのものが、どんな些細なことであっても一つ一つが
欠けていたらすべては崩れていた、それらが全て繋がったからこそ本来の結果に
なった、ということが分かります。どれ一つとっても次につながる行為であった、と。

・・・・・・

八割がた体調不良が明けたあと、大学時代の友人~学校を卒業して画家を志し、今では
立派な画家となりもうかれこれ20年くらいは毎年個展を開いている友人~の個展を、
大学卒業以来だから30年近くぶりに初めて見に行ってきました。

そこには奇をてらわずに、油で丁寧に描かれた美しい風景画が沢山並んでいました。
一枚一枚がとても美しい。
そしてずっとずっと初志貫徹し、絵を描き続けたこと、描き続けていること。
多分いろいろな困難があっただろうし、心が折れそうなときもたくさんあったはずだけど、
それを乗り越え続け、今、目の前でにこやかに笑っている彼女からは、小説に出てくる、
自分の分を尽くす人たちのような強さと豊かさを感じたのでした。

まだまだ身近なところに自分の知らないそして美しいものがある。

※撮影:2023年1月。近所、職場付近。
  カメラ:X100F。フィルムシミュレーション:クラシッククローム。
  絞り優先モード、WB:晴天・R:-3/B:-2、ハイライト:-1、シャドウ:-1、カラー:-1。
  DR:AUTO、NR:-4、シャープネス:−2、グレインエフェクト:弱。

昨年の夏ごろから、朝の犬の散歩コースに新しい道が加わりました。
きっかけは、いつも行く諏訪湖ぞいに水鳥のふんがたくさん落ちているときがあり、
それを避けようとして山方面に行くという選択肢をとったことです。

もちろんそれ以前から何度も通っている道なんですが、朝のこの時間に通ると
こんなに美しい景色が広がっているんだ、というのは全く知らなくて。
(3枚目以降の写真がそれです)
それ以来、諏訪湖に行くのと山に行くのをその日の気分で半々くらい行ってます。

地元の写真をさんざん撮ってきたなぁ、なんて思ってましたが、なんのなんの、
まだまだ自分なんて知らないことだらけ。
自分が知らない美しいものが身近にまだまだたくさんあるんだなぁとうれしい発見に
なりました。

トンネルは必ず出口にたどり着く。目の前のことから目を逸らさなければ。と信じている。

※撮影:2023年1月。近所、諏訪湖、自宅。
  カメラ:X100F。フィルムシミュレーション:クラシッククローム。
  絞り優先モード、WB:晴天・R:-3/B:-2、ハイライト:-1、シャドウ:-1、カラー:-1。
  DR:AUTO、NR:-4、シャープネス:−2、グレインエフェクト:弱。

自分のいいところなんですが、目の前の困難なこと、嫌なこと、精神的にめんどくさいこと
から逃げない、後回しにしない、という。
(ブログの書き出しが自分のいいところから、っていう辺りに自己愛の強さが見て取れ
 ますねぇ(笑))

年度末から年度明けかけて公私ともにずーっと忙しい状態が続いているわけですが、
忙しいということにも、ただただ作業・やることが多いという忙しさと、難しい、
あるいは問題に向き合う必要がある、という忙しさがあります。
前者に足りないのは時間ですが、後者は、時間プラスさまざまな意味での勇気、決断、
腹をくくる覚悟、が必要になって、さらに、動いたとしてもすぐに光明が見えるわけでは
ないので、その状態の寄る辺なさ、足元の不確かさ、暗闇の中で耐える、動くだけ
動いたらあとはじっと耐える辛抱強さも必要になります。

時間的忙しさを捌きつつ、仕事も、家庭も、そういう問題や課題があって、これに対して
正直どうしていいか分からないという状態で、でもともかく動いてみよう、働きかけて
みよう、ということを行い、そしてずっと暗闇の中で耐えるというような状態を過ごして
いました。
自分の人生を振り返っても正解が分からない。でも放置してはいけないことは分かってる。
ともかくまずは話をしよう、働きかけてみよう、その先はそのときに考えよう、と。

トンネルの中にいるときって、この状態に終わりはあるんだろうか、この先よくなることは
あるんだろうか、この孤独と不安と暗闇が永遠に続くのだろうか、とそんな風に感じます。
それでも、現状を変えよう打破しようとするんじゃなくて、この状態も一つの(あるべき
)姿で、これもまた現実として受け止める。受け入れる。そのうえで、自分がすべきこと、
自分の意思表示をする、ということをともかく繰り返す。

今日になって、そういったことが動き出しました。
いろいろとともかくやってきたこと、種まきしたこと、ほんとにこの種でいいのか、
畑はここでいいのか、耕し方はあってるのか、実はさっき抜いた雑草が大事だったんじゃ
ないか、と、それでも種を撒いたこと。その種が突然一斉に芽を出したように。

よかった。ほっとした。うれしかった。
陽だまりの中で思わずうーんと大きく伸びをしたときのような、そんなすごく
穏やかでぽかぽかした気分になりました。
そしてふと気づいたら、いつの間にかトンネルの外に出ていて、気づけば青空だった、と。

あ~逃げないで向き合ってよかった~~~~~~

シアンの空。あるいは色の好みが満たされる、ということについて。

※撮影:2023年1月。諏訪湖。
  カメラ:X100F。フィルムシミュレーション:クラシッククローム。
  絞り優先モード、WB:晴天・R:-3/B:-2、ハイライト:-1、シャドウ:-1、カラー:-1。
  DR:AUTO、NR:-4、シャープネス:−2、グレインエフェクト:弱。

青空の好み、って人それぞれだと思うんですが自分はかなりシアンが好きです。
空に限らず、あらゆる目に入ってくるものについてマゼンタより、よりもシアンより、が好きです。
かなり好き。
思い返してみれば昔から、写真を撮る前から、子供の頃からずっとそうで、青空を
見上げては、シアンっぽい空ならラッキー、マゼンタっぽい空なら今日の空はつまらないな、
って感じてました(笑)

なぜ、そしていつから、そうなったかははっきりきっかけも覚えているし、
青が好きなのも同じきっかけで、ほんと三つ子の魂百までだなぁって。

それでまぁ、写真を撮るときも、WBをシフトでいじってもと、もともとシアンよりの
クラシッククロームを選んでいるんですが、さらにシアンよりにしてます。
全てにこの色味が好きなので、撮るものやシチュエーションによってWBやフィルム
シミュレーションを変える、ということもなく延々シアンよりの写真を撮っています。

で、ふと思ったのが、そもそも青空がシアンがいいかマゼンタがいいか、みたいな話って
写真を撮っている人なら誰しもあるあるというか、もちろんどっちも好きみたいな人も
たくさんいると思うんですが、いずれにしてもそういう、目に入るものの色味みたいな感覚は持って
いると思うんですが、ん?なんのこと?空は空でしょ?とか、ときどきで青空の色が
違うのはもちろん知ってるけどだから何?って人もいるのかも、なんて思ったり。

全然そういうのもありで、だから鈍感、とか、そういうことを言いたいわけでもなく。
(逆に自分が感じていないそういったこと、色に限らず、手触り、空気の感じ、音、
 その他感覚で感じるもろもろのこともたくさんあると思うし)
だからまぁ、たまたま自分のこだわりがここにあったというだけで。

それで言いたいことは、カメラで、自分の好みの色味にこの世界を切り取って保存し、
そして後からその自分の好みの世界を見返すことでこの自分の好みがものすごく
満たされる、幸せな気分になっているってことです。
カメラという行為(趣味というレベルを超えているような。呼吸と同じように)に
よって日々、常々自分の心が満たされる。
そのことがとてもとてもラッキーで幸せだな、っていうことでした。

小さな、でも自分にとってはとても大きな、やり遂げたこと。あるいは、子供って大人が思っているよりすごいということ。

※撮影:2023年1月。諏訪大社秋宮、諏訪湖、近所。
  カメラ:X100F。フィルムシミュレーション:クラシッククローム。
  絞り優先モード、WB:晴天・R:-3/B:-2、ハイライト:-1、シャドウ:-1、カラー:-1。
  DR:AUTO、NR:-4、シャープネス:−2、グレインエフェクト:弱。

そういえば昔、その人がどういうカメラの設定で写真を撮っているすごく知りたかったな、
ということを唐突に思い出して、設定を書き出してみました。
度々ブログにも書いていますが、jpg撮って出しなのと、設定はほとんど変えないので
ここに上がっている写真はじめ、ほとんどがこの設定のはず。
フィルムシミュレーションも変えないですし、WBも室内照明のときくらいしか変えない。
その場で変えるのは絞り値と露出補正くらいということで。
誰かの参考になれば幸いかな〜と。

最近は世の中すごいニュースが連発。それも誰かが成し遂げた、という喜ばしいニュースで
自分も大変興奮させられております。
そんな中、自分自身の中でも成し遂げたなぁと思えたのがPTAの歓送迎会です。
ここ数年はコロナで実施されてなくて、その前はまだ子供が少なかったころに
(幸いなことにうちの地区はここ数年子供の数が増えていまして)
みんなで映画を見に行く、っていう企画で。人数が増えた今は予算的にも無理。
そこで一から考えたのが、カードゲームの人狼を全員でやろう、っていう企画でした。

前も書きましたが、自分は本当にオリジナルなことを考えるのは苦手で、うーんうーん、
とうなって苦しんでいました。
子供の頃はいじめられっこだったりして地域活動も休みがちで、子供が集まるだけで楽しい
のか?っていう懐疑的な気持ちもどこかにあったことも否めず、どうしたらいいんだろう、
って延々考えてました。
でもどうしようもなく煮詰まったので家族に相談して、そのときに、それ以前からも
アイデアとして僕の頭にあったのが、人狼はどうだろうか?でした。
うちの子供たちが近所の子供たちと庭でよく人狼をやって遊んでいるのを目にしていて。
それで相談したら、いいんじゃない?と。その一言であっさり決まりました。

とはいえ、僕自身がやったことなかったので、その後近所の子供で集まって遊んでいる
ときに混ぜてもらって一緒にやったり、ネットで動画を見たりしていくうちに、
・・・これは・・・結構難しいぞ、と。歓送迎会は新一年生も来るので、高学年はいい
けど、小さい子にこれを理解させる(配られたカードの「役割」を果たし、そして
役割によっては正体がばれないように嘘をつく)のは難しい・・・と案内を出してから
汗ダラダラ。

その後も子供たちに相談しながら、娘に役割の大きいイラストを描いてもらって
文字が読めなくてもそれを見れば役割が分かるようにしたり、なるべく簡単にルールを
変えたり説明文を書いたり。

そうこうやっていくうちに、なんだか当日が楽しみになってきて迎えた本番。
半分くらいの子供がやったことがなかったんですが、新一年生も、小さい子も、やったこと
なかった子供も楽しかった、と最後に感想を言ってくれて、みんなでゲームができました。

一緒にやったり見ていて思ったのは、子供って大人が思っているよりもずっとすごい。
しっかりした子がリードしてくれたり、あるいは、普段は全然コントロールが効かない
子供が上級生が苦戦しているのを見てアドバイスしたりリードしたり、思わぬ子が
リーダーシップを発揮したり、気配りを見せたり。
なんか結構、いや、すごく、そういう姿に感動させられました

一地区の小さい行事で、もしかしたら子供が集まるだけで楽しかった、そういう楽しみが
最初から約束されていたのかもしれませんが、それでも、自分にとっては、一から
考えて、家族に協力してもらって、そして当日を楽しく終えられた。
すごくやり遂げた感のある、大切な経験になったと思っています。