空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

そのようにしかできないんだなぁ。

※撮影:2023年4月。自宅、近所、諏訪湖。
 カメラ:X100F。フィルムシミュレーション:クラシッククローム。
 絞り優先モード、WB:晴天R:-3/B:-2、ハイライト0、シャドウ:-1、カラー:-1、
 DR:100、NR:-4、シャープネス:−2、グレインエフェクト:弱。

また雑多な写真が並びました。雑多な写真が並ぶと、自分の写真が暗いなぁ、ということが
よく分かります。
最近は妻が僕のインスタを見てくれているですが、なぜそんなに写真が暗いんだ?と
言われます。
実際に自分でも暗いと思いますが、しかし暗い写真を撮ろうと思って、あるいは選ぼうと
思って暗くなってるわけではなく、素直に写真を撮って、後から一番いいものを選ぶと
結果として暗い写真が残っている、と。
自分の心に素直に従うとこういう写真が多くなるということです。

先日、職場でAさんとBさんのもめごとがありまして、成り行き上半分、自主的半分で
その仲介というか、それぞれの人と話しをして収めた、ということがありました。
・・・以前の職場ではこういうことをかなりやっていて(それだけもめごとも多かったと
いうことですが(苦笑))、それで疲弊してしまい、今の職場に移ってからはそういうの
からは手を引いていました。人は人、自分は自分、当事者同士で解決すべし、という。

その方針自体はさんざん苦労した末に学んだことで、それは今でもそう思うのですが、
でもそのときは、こりゃやばいと思って頭で考えるより先に無我夢中で動いていて、
どうすればお互いに対してその場限りのごまかしでなく、誠実に、しかしどちらにも
加担せずに、それでいてお互いのわだかまりを解きほぐせるか、ということに必死で
頭を働かせて働きかけました。

結局、人って変わらないなぁと。人なんて主語が大きすぎるか。自分って変わらないなぁ。
そうにしかできないし、そう動くのが自分にとってどうやら自然なことのようだし。

以前のように、その結果によって自分の心が乱れないように、やるだけやったら後は
当事者同士のこと、っていう人は人、自分は自分、の割り切りは大切にして、それでも、
自分の中の自然な衝動には従っていこうと。

写真もね~ブログはともかく、インスタとかフェイスブックの写真グループとか、自分の
写真の中でもこういう写真はだれからも反応されない、っていうのが分かりはするんですが
(例えば今回の4枚目、5枚目みたいな真っ黒な写真(笑))、例えば先日の桜の写真の
ような明るい写真なら反応があることも分かるんですが、でも、自分にとってはどちらも
等しく気に入った写真なのでどちらもそれぞれ投稿してます。自分の気持ちに嘘は
つきたくないので。(写真をネットに上げるそもそもの目的が、自分がきれいだと思った
ものを上げる、ということでやってるので)

写真も生き方も、人生の中でここまでくれば配られたカードの配り直しは効かないので、
配られたカードを嘆くよりも、配られたカードをよりよく生かすっていうことだよな、と
思います。