空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

記憶を整える、ということ。

※撮影2024年1月。諏訪湖、通勤途中、近所。
  カメラ:X100F。フィルムシミュレーション:クラシッククローム。
  絞り優先モード、WB:晴天/R:-3/B:-2、ハイライト0、シャドウ:-1、カラー:-1、
  DR:100、NR:-4、シャープネス:0、グレインエフェクト:弱。

結果論、だとは思うのですが・・・

自分のブログは、月後れ(どころじゃないですね、最近は。
半年遅れも夢じゃない(苦笑・・・))で写真をUPしています。

写真を撮る → 数日後にパソコンに保存 = このときに写真の吟味 →
さらに数日後に写真の吟味 → さらに数日後に写真の吟味・・・(繰り返す)→
ブログを書くときに最終吟味。

ということをしていまして、だんだんにふるいの目を細かくしていって選ばれる写真を
選別していく訳ですが、その作業は、同時に、何度も何度も自分の写真を見返す事に
なります。
時間の経過と共に撮った時の気持ちや臨場感は薄れていって(といっても完全に
気持ちを忘れるわけではないですが)、主観から離れて、いい写真(自分基準)が
残る、ということになります。自分にとって。
そうすると、面白いもので、記憶的にはもちろんたくさん撮った写真の中から
わずかのいい写真が残った、ということを分かっているのですが、
感情的?心情的?には、なんかあの頃は次々といい写真が撮れてた!!オレ最高!!
みたいなブラボーな気持ちになる訳です。
誤解というか、心がなんか勘違いしちゃってる感じなんですが、この感じが悪く
ないな、と。
自分の中では、これは写真を整理すると同時に記憶を整えていると感じています。

これは僕のいいところなんですが、自分の人生がいつもラッキーで楽しいな、と
感じています。
実際に平穏無事でラッキーなんですが、それでもまぁときどきでつらいこと、
大変なことがないわけでもなく、そういうとき、器の小さい自分はイライラしたり
落ち込んだりすることもあります。
はい、嘘。多々あります(苦笑)

そういう心の弱さがあるのですが、それでも一晩、せいぜい二晩も寝るとそのときの
つらい気持ちが薄れて、つらいことがあったという事実が活字では自分の記憶に
残っていても、生々しい臨場感、そのとき感じた気持ちは忘れていって、
いつの間にか、振り返ると楽しいことばっかりだな、という風に都合よく記憶が
改ざんされています。

要は記憶力が悪い、ってことなんですが(笑)
でも自分にとっては記憶力が悪いというのは短所ではなく長所であり、
そして、それは記憶というのは後からいくらでも整えることができる、という事でも
あるのだと、非常に前向きに、自分に甘々にとらえています(^^)