空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇む、ささやかで、見落とされがちな奇跡たちを、手紙を綴るように写真に残せたら。

思いを手放す。

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※撮影:2021年4月~5月。少し遠くの諏訪湖、近所。  

ある朝、ふいに閃いたことです。

僕にとっての朝の時間は、一人で思索にふけることができる時間です。
ちょっとかっこつけて言ってみました(笑)

長年の習慣で家族が起きるよりも1時間早く起きまして、前日洗ったお皿を片付けて、
米を炊いて(土鍋で炊いてるんですよ~←自慢です(笑))、ペット達の世話をする、
とそういったことをまだ家族が寝ているときに明かりもそこまで入れずに薄暗い中で
黙々と作業するんですが、そういうときにはすごく思索がはかどります。

前日に何かやらかした、失敗したことがあると、この朝の時間にそのことが
頭をよぎり、振り返り、反省する、という風に自然となるんですが、
大概、毎日何かやらかしているので、ほぼ毎日反省する時間になっているという
わけです(笑)

でまぁ、その日もいつものごとく反省していました。
自分以外の人、家族であったり子供であったりしても、誰であれ他の人は自分の思い
通りにはならないし、自分の思い通りにしようと思うのは絶対してはいけないことで、
自分以外のものは思い通りにならないのが普通のことなんだ、とまぁ当然のことを
反省したとき、さらにその先に考えが進み、もしかしたら、自分自身も自分の
思い通りにはならないのが自然なことでは?と、突如として閃きました。

自分は頭痛持ちで、ここのところそれがひどかったり、最近は蕁麻疹、湿疹に
悩まされていて、自分の体はなかなかままならない、という思い自体は持っていま
したが、それはあくまで、正常な状態があり、それに対してちょっとしたことで
(何かしらの偶然、あるいは生来のもので)そうじゃない状態が普通、という
認識でした。
しかし、そもそも、正常な状態っていうのも幻で、その不安定な状態が自然なこと、
そんな風に思いました。

体調じゃなくても、例えば写真でも、いい写真が撮れるのはいい光景に出会える、
いい感じの光や被写体に出会える、みたいな偶然の産物だと思っていますが、
それもまた、仮に同じ条件が全部そろっていても、前に撮れたからと言って次撮れる
訳ではない、ということは自覚がありましたが、それもまた、自分のそのときの
心構えや気配り、そういったこと次第と思っていて、よい状態に自分をすれば
撮れる、みたいな理解をしていましたが、それもまた違っていて、うまくいく
いかないじゃなくて、そのままならないのが普通じゃないかと。

うーん、なんか文章に書くと、体調とか、できるできないとか、そもそも
いろんな要素に左右されることを書いちゃうので分かりづらいですが、
もっともっとシンプルなこと、右手を上げるとか歯を磨くとか、壁にぶつからず
歩くとか(僕よくぶつかるんです(*_*))、そんな単純なことですら、自分自身を
コントロールできると思うのは違うんじゃないか、と、そういう閃きでした。

まぁとはいえ、そこまで言っちゃうと、全てをあるがまま受け入れるっていう
もはや悟りの境地ですし、自分のコントロールも手放すって言ったら、自分自身にも
責任をもたない、ただのわがままというか、カオスというか、なんでもやり放題、
みたいなことになってしまいます。

そうじゃなくて、もちろん自分をコントロールしようという努力はするし、自分が
こうありたいからこうする、という自分と、今この瞬間に対する誠実さはとことん
持つようにするけども、しかしその結果はどうなるか分からず、それは全て受け入れ、
過去と比較して今回はうまくいったとか失敗したとかそういう捉え方はせず、
未来に対して思うこともせず、ただ、今を精一杯、そして結果を受け入れる。
そこまでで、結果自分がいい感じで動いたとしたらそれはラッキーだったな、と。

文章で書くと訳が分からなかったり、ある意味での理想論のような感じもしますが、
なんかでも、そのときの閃きは自分の中で天啓のようにびびっときたし、より自由に
なれる感じがしたので、この閃きは大切にしたいなと思いました。