空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

カメラに出会えてよかった。自分が関わるものを好きになれる、という自分の才能に気付けた。

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※撮影:2020年10月〜11月。諏訪湖。

精神的な喜びや生きがいに通じるような大きなものは、やっぱり家族の存在、家族が
いてくれることこそ、なんですが、もう少し小さいこと、小さいけど日々の支えに
なるようなこと、は自分にとっては音楽と、そしてカメラで写真を撮ることです。

音楽を聴くことや読書も大好きで、そこには精神浄化やカタルシス的な喜びがありますが、
カメラで写真を撮ることには、何かを創造しているわけではないですが、自分の見たものを
自分が感じたようにとらえ、そしてそれを人に伝える、という発信とコミュニケーションの
喜びがあります。
絵とかそういう才能がない自分にとって、(錯覚や感覚、主観を含めて)自分が美しいもの
を作り出せるっていうことが何にもかえがたい喜びだったりします。

ちょうどこの頃(去年の11月)が、新しくしたカメラと仲良くなって、昔のように見るもの
がみんな美しく感じられて、写真を撮るのが楽しくてしょうがない、という感じにまた
なってきたころだなぁと振り返って感じていました。

今もその感じは続いていて、以前にある方が言ってくれたんですが、写真を撮るのが
好きで好きでたまらない、いつだって写真を撮りたい、ということそのものが才能だよ、
と。
家族や景色や音楽や写真、仕事(会社の仕事、という狭い意味でなくもっと広い意味で
自分が果たすべき役割)を好きになれるということが自分の才能なんだな、と今は
思えます。