空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇む、ささやかで、見落とされがちな奇跡たちを、手紙を綴るように写真に残せたら。

多分身の回りにはそこかしこに美しい輝きがある。けれども・・・

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※撮影:2020年5月。庭、近所、通勤途中。

そこかしこにある美しい輝き。

例えば、人の優しさ。

先日、会社の人が、歩いている途中でフロアに落ちていた小さな紙ゴミを拾って、
捨てている姿を目にしました。

その人は最近愚痴が多くて、忙しいこともあって自分ばっかりがやらされてる、
割りを食ってる、という発言が多く、大変なのは分かるけど、うーん、という風に
僕は感じてしまっていたんですが、口ではそう言いつつも、落ちてるゴミを拾う、
というその行為に、優しさと気配りを感じて、ああ、いいなぁ~と。

口では文句言ってても、実際頭にもきていると思いますが、それでも、自分の職場を
美しくするっていう誇りかもしれないし、みんなの場所をきれいにするっていう
気配りかもしれないし、そういった心の声に従った。
まず気づいたこと、見て見ぬふりをしなかったことが、
それはそれはとても輝いている姿だなぁと感じました。

例えば、目に映るもの。

自分は日常のなんでもない光景を美しいと感じる方ではあるんですが、
先日書いていたように、今のカメラとの付き合い方を気持ちを新しく付き合う。
そんな心持ちで過ごしていると、今まで以上に、身の回りのすべての場面が
美しく感じられるようになりました。

普段自転車で通勤していて、美しいと感じる場面に出会うと自転車を止めて写真を
撮るんですが、目に映る物がすべて美しく感じる!!
ので、立ち止まっては写真、立ち止まっては写真とやっていたら、あやうく会社
遅刻しそうになりました(笑)

息子と朝走っているときも空や諏訪湖や走る息子の姿が美しいんだけど、
最近は息子が速くなってきて、もう写真を撮る余裕がないのが悔しい!!とか(笑)
なんなら仕事中もみんなが働いてるところ写真撮りたい!!とか。

例えば、音楽。

自分は無類の音楽好きで、CDも山ほど持っていて、そして何度も何度も繰り返して
聴くんですが、もう20年以上もずっと聴いてきたCDもそのときの気持ち次第で
未だに新鮮に感動します。そして未だに、あ、こんな音も鳴ってたんだ!!っていう発見もあったりします。
(うちの子供達には、父ちゃんはこんだけ音楽好きなくせに耳が悪い(実際
 聴力じゃなくて聴き分ける力が悪い)、と常日頃から言われております(笑)
 自分の聴き取り能力が低いおかげで今でも新しい発見を楽しめるっていうのは
 これはもう幸運以外の何物でもないですね!!)

その他にもある身の回りの輝き。

自分が、自分の中の気持ちを拾ってあげて、自分の中の「好きに」向き合っていると、
心の輪郭が自由になってきて、そんな状態でいると、もしかしたら気づかずに
いたかもしれないたくさんの輝きを見つけられるのかな、なんて思います。

でも、いつもそんな心持ちでいられるわけでもなく、気持ちが固まったり
落ち込んだりイライラしたりすることもたくさんあります。
そんなときには周りはすべて薄暗い灰色の固い世界にしか感じられないときも
あります。
それはとても苦しいときで、それこそ鞄からカメラを出すのも苦痛に感じたり、
人と話しをするのも嫌になったり。
笑う事すらできなくなったり・・・・
身の回りの美しいものに気が付くどころではありません。
そんな美しさがどこかにあるの?

でも、そんなときも、そんな自分も、大切な自分で、自分にとって必要な時間だとも
思います。
それもまた輝きを新鮮に味わうためにきっと必要なことだろうと。

そういうときがあるからこそ、輝いて見えるときがありがたいなぁって感じられる。
それを当たり前とは思わなくなる。

だから、つらいときは無理に輝き探しをせず、でも実は身の回りには今もたくさんの
輝きがあるということは知っておいて、
いつかはまた必ず輝きに気が付けるようになるから、と焦らず、絶望せず、
まぁ心が風邪ひいたくらいに考えて、やりすごし、復活のときを待つ。

そして、また輝きに気づけているときが訪れたら、それは今なんですが、どんどん
たくさん見つけて味わって、楽しんでいく。

多分、世界にはたくさんの輝きと物語があって、それはいつでもそこにあって、
でもアンテナが合うときもあれば合わないときもあって。
天国に見えるときもあれば地獄に見えるときもあって。

だから世界は自分次第だと思うし、だからこそ、いつでも天国を見つけましょう、
じゃなくて、自分が見えている世界の状態をありのままに受け止めたい。

いい時も悪い時も、世界をそんな風に作っているのは自分なんだけど、
だからといってそこから分かる自分の状態、とかいう風に自己分析的に掘り下げず、
そのときどきの感じ方、見え方、世界のありようをありのままに感じられるままに、
そのときどきで自分にできる範囲で、世界と向き合っていきたい、と
つれづれ書いている内になんだかよく分からなくなってしまいましたが(汗)
どんなときも自然体で向き合えたらな、と思いました。