空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

第三の選択肢。間を取る。ほどほど頑張る。

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毎日生きていると、暮らし、仕事、その他もろもろ・・・
実にいろいろな場面で、決断や選択をすることがたくさんあります。
僕はそんなとき、ついつい二者択一、というものに陥ってしまいます。

・今日はご飯を作るのがめんどくさい。作るか、外食するか。
・だいぶ疲れがたまっている。明日は筋トレさぼって寝坊するか、頑張って
 早起きしてやるか。
・今日は眠い。ブログ書いたり返信したりするのはやめるか、やるか。
・今度の休みは掃除するか、しないか。

・・・えー、まぁ、実にどうでもいいことばかりですが(笑)
例がそんな感じになってしまいましたが、まぁ実際仕事にしろなんにしろ、
似たような感じの選択がたくさん。
生きるって、ときにはかっこいい選択もありますが、大半は俯瞰してみれば
どうでもいい、でも当事者にとっては大事な選択の積み重ねだろうと思います。

で。

二者択一だと、どっちかになって、白黒はっきり、やるかやらないか、
自分に鞭打つかさぼるか、的な選択肢になります。
それってなんだかちょっと窮屈だったりするんですよね。
そんなときに。

・今日はメインのおかずはつくって、あとは総菜買ってこよう。
・明日は少し寝坊して、筋トレも種類減らそう。
・夜はブログの返信だけにして書くのはまた今度にしよう。
・掃除は一階の目立つとこだけにしよう。

中途半端といえば中途半端。選ぶときはちょっと座りの悪い感じもしますが、
でも毎回そんな完璧を目指さず、ほどほどやる、っていうことが選択肢に上がると、
すごく行動の自由が生まれます。
そしてやってみたらそれがちょうどよかったりして。
ちょっと頑張れたし、ちょっと休憩できたし。
さぼった罪悪感はなく、そこまで疲れず、頑張った満足感もあり、みたいな
ほどほどないい気分になったり。

自分を追い込まず、ほどほどの選択肢をうまく使うと、生きる自由がどんどん
広がるなぁ、なんて相変わらず最後の結論がスケールが大きい(大げさ)感じ、
なんてことを思いました。