空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

時計の針を進めた日

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sorairopanorama.hatenablog.com


以前に、こんな内容のことを書きました。
1年半前、自分が前職を離れたときのことを、あとから自分にとっての意味を
捉えなおした、消化したというようなことなんですが。
ただ、このときにどうしても消化できない事柄がありました。
そのことが、意識としては意識してないんですが(なんつー日本語・・・)
しかし確実に心の中に滓のようにあって、それはなんとなく、自分の心に常に
影響を与えていた、ということに最近気が付きました。

「前からさ、〇〇さんたちは上司としての林君に不満と不信感があってさ、
 裏で苦情を訴えていたんだ。それをずっとなだめてかばってくれていたのが
 社長なんだよ。その社長に対してなんて恩知らずな態度をとるんだ。
 そんな人間にはいてほしくない」

このように当時専務に言われてまぁ辞めることになったわけですが、社長に対して
とった態度というのは僕は僕なりの考えで意見を言ってそれが社長とぶつかって、
ただそれが人づてに第三者に伝わる中で改変し、考えと考えの違いのぶつかりあい
だったのが違うようになって・・・ということで、それはもう仕方ないとそのこと
自体は消化できているんですが、その前提。
○○さんたちは不満と不信感があって・・・というのがひっかかっていました。
(気づいたら僕の実名書いてますが、別に隠していないし、文章書くのに都合が
 いいのでそのまま残しておきます。ということで、林=青空百景です(笑

いい上司であった、なんていうつもりはなく、そりゃまぁ不満も不信感もあっても
おかしくないんだけど・・・それは直に言ってほしかった、という。
結構社内ではそれまでも意見をぶつけ合って本音で向き合ってきたつもりだったので、
本人に言わずに社長に言っていた、というのが悲しいやら、いよいよ本人には
言えないほど(僕が)しゃれにならない感じだったのか・・・とか、
仲間だと思ってたんだけどな~、みたいな。

まぁ簡単に言って落ち込んだわけです。
どちらかと言えば、その落ち込みが自分に、ここはもはや自分の居場所ではない、
という決断のきっかけになったわけですが、とはいえ、なんか直接言われずに
人からの伝聞で終わるというのが嫌で(電話で専務と話しをしてその場で二度と
会社に近寄らないように通達されて、車もなくなってしまったので結局他の人には
何も話さず終わったわけです)
最後にきちんと話しをしたいな、と思い○○さんに連絡を取ってみたわけです。
メールでやり取りする中で、急に僕が辞めることになったことに驚いている、
辞めないでください、せめて最後に話しをさせてください、とメールをもらいました。
(社内でどんな理由で僕が辞めることになっているのか、僕はいまだに知らないです)

で、日程を調整してたらいくら待ってもメールの返事が来なくなってしまって・・・
普段ならどうした?ってメールしたり電話するのですが、(本人からは一度も
聞いていない)実は不信感を持っていた、という言葉が呪いのようにのしかかり、
やっぱり話したくなくなったのかな、とか思ってしまい、まぁ単純に忙しいって
可能性もあるけど・・・でももういいや。縁がなかったんだな、と僕もあきらめて
それっきりになりました。

辞めた直後はめちゃくちゃ落ち込んでいましたが、その後人の助けがあって、
元気を回復して、次の仕事にも行きだして、自分というのものをとらえなおし、
辞めたことも消化して進んでいたのですが、あるとき、昔の知り合いから誘われて
「七つの習慣」という本を基にしたボードゲームの会に参加しました。
ゲーム会ながらセミナーだったんですが、終わった後での講評で、
「林さんは人から信頼される人間なんだけど、唯一あなた自身が人から自分が
 信頼されている、という事実から目を背けて自分の価値を認めていない。
 もうそろそろ自分自身を認めてあげてもいいんじゃないですか」
と言われました。

こういう話しが出るたびに、自分は人からの信頼に足る人間なんだろうか、と
及び腰になったり、逃げ腰になるわけですが、そのことを考えたとき、
心の底に沈めていた、○○さんが不信感をずっと持っていたぞ、という言葉が
よみがえってきました。
この思いが、自分の心にブレーキをかけ、僕は僕自身を信頼しているが、
人からの信頼って言われても・・・と否定的な気持ちにさせていると
それが分かってしまいました。

この場合、その解釈が正しい正しくないではなく、一度自分でそう思ってしまった
以上は、それを解消するには、この気持ちを忘れてしまうか、向き合うか、しか
ありません。

悩んだ末に、もう一度○○さんに連絡を取りました。
そして会って話しをしました。
昔のこと、今のこと。お互いの近況。あれからどう変わったか、変わらなかったか。
たくさんの話をしましたが、会社にいたころ本当はどう思っていたの?
自分は本当はこういうことで会社を辞めざるを得なかったんだよ。
というような答え合わせだったり、確かめるような話は一切しませんでした。
それはもう必要なかったから。
苦手になっていたこと、そのイメージをかぶさせてしまった人、一度連絡が
途絶えてしまった人にもう一度連絡し、会って、話しをする、というそのこと自体が
自分にとっての救いとなり、自分の心の滓が、重しが軽く解き放たれていくことを
感じて、そしてただただ楽しい時間になった、それでもう十分だったからです。

結局、会社にいたころに不信感を持たれていたぞ、という言葉は別に否定されず
そのまま変わらずありますが、しかしもはやその言葉は呪いではなく、単なる昔話で
しかもそこには感情を伴わない、そんなものに消化されました。

ただ人と会って食事をして他愛もない話しをした、そんな一日。
でも、自分では動いているつもりだった時計の埃を落として、錆をとって、
そうしたらまた針が動き出した、そんな風に思った大切な一日になりました。