空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

写真は、その人らしさそのものだと思う。もちろん自分自身の写真も。

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いや、当たり前だろって話しではあるんですが・・・

色々な方の写真を見ていると、だんだんとその写真がその人そのものに見えてきます。

 

写真に現れる要素を考えると、どんなカメラか、どんなレンズか、どんな技術なのか、

という部分があるかと思いますが、それ以外にも、その人の興味・・・どんな被写体が

好みか、どんな色合いが好きか、明るさ暗さ、はっきりそれとも柔らかい。

そしていつ撮るのか・・・生活の中で、休みの日に遠出して、身近なものか、遠くの景色か。

そういった趣味、趣向、暮らし向きなどが現れる部分も大きいと思います。

 

そういったもろもろをひっくるめて、なんだかすごく、その人の人となり・・・

人間性、性格、そういったものが現れている気がするんです。

カメラ始めたばっかりとか、設定は全部カメラ任せのオート、とか、

何撮っていいかわかんないから手近なものを、とか、そういった

段階であっても、やっぱりそこにはその人らしさが表れていると思うんです。

 

ある人の写真には、冬の寒さがつきもののはずの雪景色の写真で感じられるのが

温かさであったり、ふんわりしたかわいらしい被写体の中に凛とした美しさや

秘めた憂いが感じられて、それはそのまま、その方の、やさしさの中に

それだけではない奥行きがあるお人柄が感じられます。

 

ある人の写真には、写っているのは暮らしやお子さん達のある瞬間ですが、

その写真からはその前後の時間、周りに広がる気配、そこにいる人たちの

気持ちが生き生きと、そして軽やかに感じられます。

それはそのまま、その写真を撮っているそのときのまなざしや気持ち、

やさしさがひしひしと伝わってきます。

 

ある人の写真には、山や森の美しさ、そして雄大な広がりを感じます。

それは撮り方とか見えている景色がそうだから、というだけでなく、

そのように雄大に世界をとらえている視点が感じられ、それはそのまま

その方の心の大きさ、広さ、というものとして伝わってきます。

 

いろんな方の写真を見ていて感じることですが、多分その比較対象というか

無意識に基準にしているのが自分自身の写真であるため、単純に自分の

持っている技術が稚拙である、という事かもしれないし、

またそれぞれの人とは実際にはお会いしたことがないので、

どちらかといえば写真を通してその人、というものを想像している訳で、

むしろ真逆というか、僕の勝手な想像上の人物像でしかないんですが・・・

それでも、僕には生き生きと「その人」の人物像が感じられます。

 

写真を通していろんな方と知り合い、そして語り合っている、

その人についてすごく知っているような気がします。

錯覚といったらそれまでだけど。

ご本人からしたらいやいやそんな人間じゃないよ、って言われるかもしれないけど。

(なので、例に挙げた方たちも具体名やリンクを上げることは

 していません)

 

それでも。

 

そんな出会いが、自分の中に、さわやかで、うれしくて、

温かい気持ちをたくさん運んできてくれます。

自分の心がその分豊かになっていくのを感じます。

 

そしてそれは、僕自身を知る手掛かりになります。

他の方の写真から他の方を感じる、その後で僕の写真を見ると、

自分で言うのもなんですが、実にまっすぐで、素直で、さわやかで。

深みや奥行き、秘めたものは何も感じられないんだけど(笑)

素直で見た目そのまんま、というのが自分の写真であり、また、

自分自身なんだろうな、と。

そして、そういう自分も自分の写真もまぁ悪くないな、と思うわけです。