空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

人の話は話半分で聞く

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またしても写真に全く関係がない話です。
しかもいきなり失礼なタイトルで始まりましたが・・・

いろんな場面で、いろんな人から、指摘(というほど大げさでないものからそのもの
ずばりまで)されることが多々あります。
例えば仕事での真面目な指摘であったり、他愛もない会話の流れで出た一言で
あったり。
あるいは、言葉では言われてないけど何となく思い知らされたり・・・
そういったものをひっくるめて、僕はそれをすごく真に受ける傾向があります。
真に受ける、というよりは、うーん、なんだろう、心を揺さぶられてしまう、
そういうところが自分にはあります。

例えば、お前は真面目だよな、固いよな、遊び心に欠けるんだよな、というような
ことを学生の頃から社会人になってからもつい最近まで、よく言われます。
まぁそれは自分でも分かっていて、真面目で、堅苦しくて、きちんとしたいという
思いが強く、一方で自由闊達に遊んでみたり、面白いアイデアを次々生み出す、
みたいなことが全くないわけでもないけど、まぁそんなにそっち方面は活発では
ないなということは自分でも自覚があって、今はそんな自分を悪くないじゃん、
って思えてますが、一昔前はそれがすごく気になっていて、言われるたびに落ち
込んでいました。
特に親しくなった人から言われたりすると。

例えばスポーツが苦手なのにやらなきゃいけない、という経験がある人は分かると
思いますが(今回やたらと、例えば~という書き出しが多いな(苦笑))
もっとリラックスして~肩の力抜いて~と言われれば言われるほど、意識する分だけ
余計に肩に不自然な力が入ってしまう、いったいどういう状態が肩の力を抜いた状態
なのか、どうすれば肩の力は抜けるのか分からない、ってことありますよね。
はい、僕はスポーツ苦手なのでこれがよくあったんですが(笑)
それと一緒で、もっと遊び心を、と言われても、何?遊び心って羽目を外すこと?
でもそれって何?いい加減にしろってこと?楽しいと思ったことをすればいいの?
でもどんなことも一生懸命やったら楽しいよ?もっと突拍子もないアイデア
出せってこと?そんなの無理だよ~
・・・この辺が真面目なんですね(笑)
まぁそんなこんなで意識すればするほど分からなくなり、仕事で言われたときは
非常に苦しみ、遊び心を勘違いしてただの変な行動になってしまっていよいよ
落ち込むという悪循環、そして遊び心のない自分という存在にダメ出しされてる
ような悲しい気分になったものです。

今になって思えば、言われたことが正しいとして、それはそれできちんと受け取る
けど、だからといって何か元々の自分を否定してがらっと変える必要はないし、
自分で何かできそうだな、とかチャレンジしてみようかな、と思えればすればいいし、
無理して分からないことをやる必要はないし、そこだけにとらわれて自分の良さを
自分が見えなくなってしまってはいけないと思います。

大体そもそも、相手だってどのくらいの思いを込めて発言してるかも分からないし、
少なくとも、(相手が)僕という存在を否定しようとして言っている訳ではないで
しょうしね。
 
だから、話半分に聞くってスタンスは、正確には、相手の言葉にまず言葉以上の力を
持たせない、その指摘事項のみについて、自分で頑張ろうかな、と思えることは
頑張るけどそれ以上はしない、そして指摘事項から広げて自分自身や存在や魂には
触れさせない、とまぁそんなことを思っているわけです。
あんまりきつかったから何なら目をそらしたって、耳を貸すのをためらったって、
それについて考えるのを一時保留したっていいと思います。
心に余裕がないときは特に。

人に何を言われたか、どんな反応があったかではなく、自分が何をしたいか、で
自分の価値を決めていく、って前に書いた話に近い部分もありますが、相手から
受け取るところであっても、同じように自分の心と価値は自分が大切にしながら
聞いていこうね、って話でした。