空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

妻と僕のありよう。大切な人との向き合い方。

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考えてみると、知り合って相手に惹かれたときというのはそれこそ、自由に
その人らしくしている相手に惹かれたわけで。
それが付き合い出したり結婚したりして、もっと相手に自分の方を向いてほしい、
って気持ちが出てきて、出てくるだけならいいけど、それが自分の感情の中で
大きくなってきて、やがてそれを相手になんとなく、またははっきりと
要求するようになってしまうと・・・

相手が自分の方を向いてくれなければ
寂しく、かといって向いてくれたら
向いてくれたらそれは相手の自由意志ではないので、
かつて(そして今でも心の底では)自分が惹かれた相手の自由さを自分が束縛して
その魅力を奪っているという。
それはもう二進も三進もいかない状態。
自分も相手も不幸にするだけになってしまいます。

自分もかつてはそうだったなぁ、ととある話をきっかけに思い出しました。
そして、自分はそこから抜け出せたな、と思います。

カメラ屋さんでパートをしていく中で、広告デザインの仕事をまかされたり
写真の修正をまかされたり、最近はカメラマンの仕事も修行しながら少しずつ
こなすようになってきていて、土日も仕事のことが多くなり、家にいる時間も
以前よりは減ってきているけど、仕事が楽しくて家に帰ってきたら疲れているけど
笑顔は以前よりもたくさんたくさん増えてきた妻。

休日の家事子育て、平日の夜の片付け、朝のご飯の準備などは僕が引き受け、
自分の休日はないけど、でもそんな妻の生き生きしている様子を支えているということが
とても誇らしく、何より嬉しく感じています。
 

自分が相手に望む本当のことは、自分の方を向いた顔じゃなくて、横顔や後ろ姿、
自分以外のものでもなんでも、そこにに対して
生き生きした顔をしている姿。
そして、その表情の支えに自分も一役陰ながら買っているということがとても
幸せだなぁと思うわけです。


とはいえ、僕のお弁当は毎日妻が作ってくれているし、僕が支えるよりもずっと
多く支えてもらっているわけで、なんだかんだこうしてブログ書いたりカメラ続けたり
隙間時間でギターも二胡もしているので僕もやりたいことやっているし、
お互いにやりたいことをやり、お互いに相手にはやりたいことをやってもらいたいし、
そのために自分を犠牲にせず相手を支える。
喧嘩もするしムッとすることだってあるけど、でも最高のパートナーにお互いなれたな、
と幸せを実感しています。