空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

自分の汗臭さに誇りを持って写真を撮り続け、ブログを書き続ける。

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写真を撮るという行為は純粋な衝動からくるものだけど、
それをUPしてブログを書いているのは、人とコミュニケーションをとりたいから。
人に伝えたいこと、聞いてもらいたいことがあるから。
そして、反応が欲しいから。
そんな気持ちがあるのは間違いない。

そうしたときに付随してむくむくと頭をもたげる、かつてはそう思っていたのが、
自分だけの特別なもの、人とは違う感性、オリジナリティ、独創性、そんなものが
あったらいいな、ということ。

それさえあれば。きっと人は見てくれるだろうし、関心を示してくれる。
感心してくれるだろうし、きっと次も見てくれる。
そして、いざ見てくれる人が現れたときに、
え、こんな(程度の)自分の写真、ブログを見てくれるんですか?
何かの間違いじゃないですか?がっかりしてないですか?
という風にうろたえずに自信を持てるだろうっていう思いを持てる。

もちろん、今の自分に個性がない訳じゃない。個性はある。
そもそも個性は誰にだってある。
でもその個性は、かつて欲しかった特別なもの、と比べたときに人より目立つ
ものでなかったり、きらっと輝くものでなかったり・・・
ええい、はっきり書いてしまおう、かつて欲しかったのは人からの賞賛と羨望で、
人の魂を揺さぶるものが欲しいと思っていた。
今自分に備わっている個性はそういった類のものではない。
もっとこう・・・ぬぐってもただよってくる汗の匂いのような、どうしようもなく
自分に身についていて、人に自慢できるようなものではない。

このはてなブログでもいろいろな人のブログを見ている。
はっとするような写真、背景を知らなくてもその一枚だけで感動するような写真、
楽しい気持ちになる写真、物語を感じるような写真。
暖かい気持ちにさせてくれる文章、自分の人生に勇気を与えてくれるような文章。
一言でいえば読み手に影響を与えるものたち。
それらこそ、僕がかつては自分にも欲しいと思っていたもの。
でも、そんな風に人に影響を与え、人の魂を揺さぶるようなものを作り出せる
その人らしさは、まっとうにコツコツと時間をかけて経験を重ねて、たくさんの
失敗も繰り返し、それでも前を向いて己を磨き続けた先にあるものであるはず。
目先ではなく、日々の積み重ねの先に遠くにあるもののはず。
そんな積み重ねがあるからこそ、今の輝かしさがあるはず。
憧れの人たちを見る時、今の輝きの向こう側にそんな日々があることを忘れては
いけない。

そして、今の自分に備わっているものがどんよりした汗臭さだからといって、
それを否定し、憧れの人の今のきらめきだけを見てそれを真似ていくのは
薄っぺらいモノマネにしかならないし、過剰に人の目を意識したものにしかならないし、
きっとそれは見透かされるてしまう。
少なくとも僕自身はそんな自分を見透かしてしまう。

なので、そんな風には考えない。
自分には思いつかないセンス、構図や色、明るさや・・・いろいろな要素だったり
もっと総合的なものだったり、圧倒的な説得力や物語、何か、を強烈に持っている
人たちの写真には強く憧れる、学び、ときに真似をするけども、それはそれとして、
自分自身は自分のままで、素直に、自分らしく、汗臭さにひるまず、誇りをもって
写真を撮り続けていこうと思う。

今、自分のブログを見てくれる人がいる。それはとてもうれしく、とてもありがたい。
そこに自己を卑下せず、ただひたすらに感謝を込めて。