空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

とりとめのない写真たち。僕が写真を撮り、そして記事を書く理由。

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じゃあ今回以外はとりとめがあるかというといつだってとりとめがないんだけど。
主題もない。テーマもない。コンセプトもない。
写真を撮るために出かける、ということもない。
普通に暮らしていてどこへ行くにも何をするにもカメラを持ち歩いて、
だからいつもあげる写真は出勤途中か散歩か家の中か子供たちの様子か。
どこからどう見ても日常。

そんな日常の中で、いいなぁ、きれいだなぁと思う瞬間がいっぱいある。
それを残したくて。それを伝えたくて。
だからいつもカメラを持ち歩いている。
すると今度は、カメラを持ち歩いていることでさらに、いいなぁ、きれいだなぁと
思う瞬間が増えてくる。
だから日々、膨大な枚数が増えていく。

だけどまぁ、きちんとカメラを設定してびしっと構図を決めて撮っているわけでも
ないし、スナップのセンスがあるわけでもないので、自分ではとても気に入っている
けど、いたって普通の写真だな、と思う。
それでも。
自分がいいなぁと思った瞬間は人とはまた違ったものだし、それは優劣ではなく
違う、ということで、だから見てみて!っていう気持ちであげている。
そしてそれを見ていいなぁと思ってくれている人がいるので(いるはずなので、
いると思うので、いたらいいなぁ)
ニッチだとは思うけど、楽しみに見てもらえたらうれしいなぁと思って
記事を書いている。

文章もそう。僕はネットでもリアルでも自分の内面を人に伝える方なんだけど、
わかって欲しい!という気持ちはさほどでもなく、なんというか、人ってのは
基本的に誰しも悩んでいて、でも他の人の悩みとかは外から見えないので
自分だけかも、って不安になる(と思う)。
だから、外から内面や本音が見える人間が一人いるっていうのも、それを
発信するってのも誰かの何かの役に立つかなぁと思ってやっている。

誤解して欲しくないのは、これは全部自分がやりたいからやっている。
そうすることで、誰かの役に立っていると自分が思って気持ちよくなっているので
やっている。
自己満足。でも自己満足いいんじゃないかなぁ、と思う。

ということで、文章もとりとめがなかった。