空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

このたび会社をやめました〜その12。課題の分離、自己受容、他者貢献、そして今を生きる。

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タイトルでピンと来た方、はい、アドラー心理学です。
先日、嫌われる勇気、を読みました。

昔からずっと、自分の自意識過剰に悩まされていました。
相手はどう考えているのだろう?これしたら嫌われる?見限られる?
ほんとはこの程度の人間なのに過大評価されてる?メッキが剥がれたら
がっかりされる?
弱さを知られたくない。ほんとは大したことないことを知られたくない。

思いの根本はそんなところでしょうか。
それ故、すごく頑張ったり大切な人の愛を常に確かめたり、ちょっとした
意見に対して自己を否定されたような気になって過剰に反応したり
かっとなったり。そのたび、自分も身近な人や大切な人を傷つけてきました。

いや、それは勘違いだ、周りの人はもっと暖かい、勝手に周りの人の気持ちを悪く
想像してるんだ、もっと周りを信じよう。もっと自分を信じよう。
ダメな自分を認めよう。
もっと愛を持とう。

今までも、ダメなときを経てそのように気持ちを立て直し、周りに感謝し、
心を解放するにようして上向かせて、という対処をしてきました。
しかしまた(心の)調子が悪くなってくると上記の気持ちに陥り、それを繰り返して・・・

会社をやめるきっかけになった出来事も、遠因ではここに起因する部分もありました。
それで、どうも啓発本に苦手意識を持っていて存在は知っていたけど読んだことが
なかった嫌われる勇気を何気なく図書館で目にし、せっかくだから読んでみようかと。

・・・これは・・・すごく自分を言い表している気がしました。
(もしかしたらよくできた啓発本は誰が読んでもそう感じるのかもしれませんが)
自分が陥ってしまう状態が指摘されていて、むさぼるように読みました。

この本で書かれていた周りとの調和の取れた関係の第一歩が課題の分離、でした。
自分の課題と相手の課題を分ける。
相手を心配するのは相手の課題に土足で踏み込み自分の課題にしてしまっている行為
である、とか、自分が相手に対してしたいことをする、それでもう満足で、
それに対して相手がどう思うとかどう反応するかは相手の課題であるのでそれはもう
どうでもよい。相手の課題は相手の課題。自分は自分の課題にだけ向き合う。
相手がどう思うかは関係なく、自分が相手に対してどう思い、何をしたいかが重要で、
それによって人間関係は自分がコントロールするものとなる、とか。

そしてその先に、相手を仲間と思い、仲間に(相手の反応は関係なく)貢献したいと
思い、実際に貢献していくこと。
貢献できていると自分が感じることで自分の価値を感じ、それが自己受容に
繋がっていく。
それは承認欲求とは真逆の状態である、とか。

要約が乱暴なので実際に書かれている内容が気になる方はご自身で読まれることを
お勧めしますが、相手の反応、気持ちを、きっとほんとはいいものだ、という
ポジティブに考える対処をしてきた自分にとって、相手の反応は関係なくどうでもよい、
ということがすごく新鮮でそうなれるように努力してみたい、と思わされました。

ただ実際は頭で理解するほど簡単ではなく、読んだ後も試行錯誤、うまくいったと
思ったら次には失敗してまた落ち込んで、ということを繰り返していますが、
それでも・・・少しずつ前に進んでいる、今までの自分とは変わってきていると
感じています。

これに限らず、ですが、仕事を辞めたことで、今まで見て見ぬふりをしてきたことや、
自分自身というものや、いろいろなことに向き合っているなぁ、と感じています。
いつ仕事が決まるかな、とか、あのときなぁ、とか思うこともありますが、
この本に書かれている、今という瞬間のみを見て全力で生きる、ということを
していきたいと思っています。