空色のパノラマ

空色のパノラマ

なにげない毎日の中にひっそり佇むささやかで見落とされがちな奇跡を、X100Fとクラシッククロームで綴る日記。

このたび会社をやめました〜その4。前の会社への気持ちが折れる。

f:id:Aozora100:20180930002838j:plain

f:id:Aozora100:20180930002858j:plain

f:id:Aozora100:20180930002907j:plain

さて。
仕事の最後は有休消化となりました。あっけなくクビが決まり、そのあと
会社に慰留される、という事態がありました・・・

しかし。社長、部長、メンバーと個々に話しをするとみな残ってほしいといいながら、
でも組織的にはね〜、とか、(自分以外の)他の人が何と言うかね〜、とか、
(給与的な)条件はとても厳しくなるね、とか。
この辺りが非常に説明しづらい部分ではありますが、一言でいえば厄介者、
だったんだな、と感じました。

もともと小さい会社で、組織というようなものはなく、個々人の力、気づき、考え、
気働き、そんなようなもので成長してきた会社でした。
立場を超え、役割を超え、ときに協力し、ときにぶつかって、同僚というより仲間、
お客さまとは友人付き合い、というような様子できました。
しかし。いつしか会社も(以前に比べたら)大きくなり、組織というものが整備され、
新しいメンバーも増え、そこに違和感を覚えた当時のメンバーは1人また1人と
去ってここまで来ました。
私は敏感のくせに根本は鈍感なようで、違和感は感じつつも、もっと気持ちを込めるんだ、
もっと情熱を燃やすんだ、もっと一生懸命になるんだ、そうしたらまたいい雰囲気に
きっとなるはず、と思ってやってきていました。

そのために、相手が上司でもメンバーでも同僚でも意見はがんがん言う、
仲間のいいところを見つけて褒める、意見は尊重する、自分の仕事より相手の
手助けを優先する、というようなことで来ていましたが・・・

今になって思えば組織に秩序を見出し、決められたルールやルーチンよりも
思いを優先し、戦略とかそういうことに無頓着で、上からも下からも
めんどくさい存在、だったようでした。
(辞めるにあたっての話しあいで言われました)

慰留していたのも、どこかノスタルジックな気持ちからで、でも実際の組織としては
居場所がないんだよね、ということだったんだと思います。

ショックといえばショックですが、どこか無意識には薄々感じていたことで、
だったらいいです、クビにしてください、と。
(といっても実際には残る選択肢は現実にはなかったのですが)

具体的なことが書いてないのでさっぱりわからん、かと思いますが、
自分でもわかったようなわからないような。
しかし、自分が相手に対して思っていた仲間意識と相手が自分に思っていた
同僚意識というものを理解し、気持ちが折れたことは事実でした。